なる。更に共産党、人民の党と考えていたものを裏切ったと思う、苦痛もある。
私は眠れないまま、しきりに催眠剤を用いるようになった。はじめはカルモチンなら十錠、アドルムなら二錠で眠られたのが、しまいには、カルモチン五十錠から百錠の間、アドルム十錠ほど、一気にのまなければ眠られなくなった。それも飲むと眠たくなる代りに気持よい昂奮状態《こうふんじょうたい》が訪れる。そして桂子との交合。その疲労を忘れるため、昼間もアドルムを飲んでは、原稿を書く。
私は前から酒好きで、その酒も強いほうだったが、催眠剤を連用しはじめると、酒だけではまるで酔えなくなった。私は昔のボート選手で六尺、二十貫。それでも一升飲めばいい気持になったのだが、そのうち、焼酎《しょうちゅう》一升飲んでもケロリとしているので、酒と一緒に催眠剤を飲むようになる。また、そのほうが安上りというサモシイ気持もあったのだ。そのおかげで私は、桂子の肉体と催眠剤の中毒患者になった。そのどちらもが一日でもないと、禁断症状がおこり、私は口を利く気力さえない半死半生の病人のようになる。
そのままでは、私の健康も才能も、また疎開先の妻子もダメになると
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