に出た後の時間である。それで翌日、老母の行ってくれた後のことにしようと思い、いつものようにアドルム五錠を貰ってから、子供たちと、離れの十畳にゆき、将棋をやっていた。
 夜の九時頃になり、そのうち玄関を激しくノックする音。「誰」ときけば、「あたし」という独特のしわがれた声が桂子である。私は一面、嬉しく、一面、気まりが悪く、大急ぎで子供たちを退散させてから、優しく桂子を部屋に迎え入れた。先日までピチピチ肥って、とても元気そうにみえた桂子が、いまはアドルムの酔いもあるらしく、ひどくやつれてみえる。女性にとって、衣類はそれほど顔をやつれさすほど貴重なものらしい。ほどよく酔っている桂子はしきりに、(女にとり第一に大切なものは衣裳、第二が生命、第三が恋人よ)という。
 私はまた彼女がそのように、いっさいをハッキリいう時の、お転婆の童女のような顔が好きなのだ。いつの間にか戸外には、いまの時代を思わせるような激しい風が、ピュウピュウ吹きはじめ、私は幾らかでも酔っている彼女を、そんな夜、ひとりで新宿まで帰すことが不安になった。
 どちらかいえば、妻子のある私と関係しただけでも、桂子に好意の持てぬような姉
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