いボロ布団にねたが、淋しくて寒くて仕方がない。大声で桂子を呼びたて、彼女のピチピチした身体をしっかと抱いたまま眠る。桂子の話だと、世の中には、そうして他人が横に寝ていることに刺激を感じ、交合を好む男女がいるそうだが、私はふたりだけの時は、思い切って開放的で恥知らずの交合を好む癖、誰かに見られていると思うと、それだけで、まるで勇気を失ってしまう男なのだ。
私は帰ってきた蕩児《とうじ》として、前以上に桂子が好きだった。彼女のためなら、自分の文学も、自分の一生も、不憫《ふびん》な子供たちも、いっさい、失ってもよいとまで思いつめていた。しかし、前回と違い、桂子の物欲の強くなっているのにはかなり悩まされた。彼女は再び私と一緒になることを喜んで承知したが、その代り、
「わたし、お店に出て、いろんなことを覚えたわ、愛情は物質と平行するものよ、わたし、着物も欲しいし、うんと贅沢《ぜいたく》させてくれなくてはイヤ、ネ、女の虚栄というものを理解して頂戴」
ああ、これが私との逢いはじめに、私が、ボロボロのジャンパーに軍靴をはき、「ぼくは身なりをあまりかまわない男ですよ。それに貧乏作家で、あなたに贅沢をさせられないかもしれない」といったのに対し、やさしく、「ええ、あなたの愛情さえあれば、わたし、なんにもいらない」と答えた女なのだろうか。
一カ月の社交喫茶勤めという悪習が、桂子を急速に堕落させたのだろうか。イヤ、元来彼女はそうした虚栄心の芽のあった女ではある。それが私に対しては慎ましく、「なにを買ってくれ」というのも遠慮していたのが、私には余計、可憐《かれん》に思われたのである。
けれども、今は、店の同僚の女たちの衣裳がみんな数十万円のものを身につけてると羨《うらや》ましがり、自分にも、そうした装身具を買ってくれとねだるのだ。私は死にたいほど悲しい気持で、彼女を抱いて眠っていたのに。
その翌日、私は彼女とともに、近くの先輩作家のもとにいった。先輩といっても、五十を過ぎ、平和な落着いた家庭を持っているひとなのだ。そのひとを仮にYさんと呼んでおこう。Yさんは、久し振りの私を歓迎して下さって、お酒の御馳走をしてくれた。
Yさんの小さい子供たちの無心に遊んでいるさまをみるのが、私には、自分の子供たちが思い出されて、身を切られるように辛い。それで殊更、元気をだし、その子供さんたちに校歌を教え、優しい奥様に、よく知りもしない禅の講釈などをしていた。私は彼女と別れて放浪中、偶然、古本屋で買った、「無門関」を愛誦《あいしょう》していた。その中でも、「百丈|野狐《やこ》」という公案が好きだった。それには、あのボードレールの、(あきらめよ、わが心、けだもの、眠りを眠れ)といった嘆声に共通したものがあるように思われた。いま、ここにその公案の全文を写してみよう。
百丈和尚、凡《およ》ソ参ズルツイデ一老人アリ、常ニ衆ニシタガッテ法ヲキク。衆人シリゾケバ老人モマタシリゾク。忽《たち》マチ、一日シリゾカズ、師ツイニ問ウ。面前ニ立ツ者ハマタコレ何人ゾ。老人イウ。ソレガシハ非人ナリ、過去、迦葉仏《かしょうぶつ》ノ時ニ於《おい》テ、カツテコノ山ニ住ス。因《ちなみ》ニ学人問ウ。大修行底ノヒト、因果ニ落チルヤ、マタナキヤ。ソレガシ答エテイウ。因果ニ落チズト。五百生、野狐ノ身ニ堕ス。今コウ。和尚、一転語ヲカエテ、ネガワクハ野狐ヲ脱セシメヨト。ツイニ問ウ。大修行底ノヒト、カエッテ因果ニ落チルト、マタナキヤ。
師イウ。因果ヲクラマサズ。老人、言下ニオイテ大悟シ、作礼シテイウ、ソレガシ已《すで》ニ野狐ノ身ヲ脱ス。山後ニ在住セン。敢エテ和尚ニ告ゲ、乞ウ、亡僧ノ事例ニヨレト。
師、維那ヲシテ白槌シテ衆ニ告ゲシム。食後ニ亡僧ヲ送ラント。大衆、言議スラク、一衆ミナ安シ。涅槃堂《ねはんどう》、マタ人ノ病ムナシ、何故ニ、コノ如クナルト。食後タダ見ル。師ノ衆ヲ領シ、山後ノ巌下《がんか》ニ至リ、杖ヲモッテ、一死野狐ヲ挑出シ、スナワチ火葬ニヨラシム。師、晩ニ至リテ上堂シ、前ノ因縁ヲ挙《こ》ス。
黄蘗《おうばく》スナワチ問ウ、古人、アヤマッテ一転語ヲ祇対シテ、五百生、野狐ノ身ニ堕ス。転々、アヤマラザレバ、コノナニヲ作ルベキ。師イウ、近前ニ来レ。カレノ為ニイワン。黄蘗ツイニ近前シ、師ニ一掌ヲアタウ。師、手ヲウッテ笑ッテイウ。マサニ謂エリ、胡鬚《こしゅ》赤シト。更ニ赤鬚ノ胡アリト。
無門|曰《いわ》ク、不落因果、ナンノ為ニ野狐ニ堕《お》ツ。不昧《ふまい》因果、ナンノ為ニ野狐ヲ脱スル。モシ、者裏ニ向ッテ、一隻眼ヲ著得セバ、スナワチ、前百丈(野狐ノコト)風流五百生ヲカチ得タルヲ知リ得ン。
頌《じゅ》ニ曰ク、不落不昧、両彩|一賽《いっさい》、不昧不落、千錯万錯。
私はこの公案に自己流の解釈を下そうとは思
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