し、サインをしてくれます。と傍《そば》から、「わたしも上げる」とか言いながら、パアスを探すお嬢さんがいます。二三枚、貰った写真は、何《いず》れもブロマイド式に凝《こ》ったものですが、正直|綺麗《きれい》なひとは、一人もいませんでした。
その上、「あなた、メモ貸して、ミイのアドレス書く」と、だぼはぜ嬢が切り出し、また、続けて、二三人が、達者な英語で、御自分のアドレスを書いてくれました。
「あなた、向うのアドレス、着いたら、教えて」とだぼはぜお嬢さんが言うのを、うんうん肯《うなず》いている中、ぼくは、そのグルッペの隅《すみ》に、ひとりの可憐《かれん》な娘を見つけました。
美しい顔ではありませんが、色の黒い、瘠《や》せた顔に、子供らしい瞳が、くるくるしていて可愛《かわい》らしい。先刻から、だぼはぜさんの蔭にかすんで、悄然《しょんぼり》しているのが、今朝からのあなたの姿に連想され、「テエプ、この裡《うち》の一人に抛ってね」とだぼはぜ嬢が自信ありげに念を押したとき、よしあの娘《こ》に抛ろうと、とっさに決めたのでした。
出帆の銅鑼《どら》が鳴りだしたとき、ぼくは白いテエプを、その娘に投げてやりました。淋《さび》しい顔立が、人混《ひとご》みに揉《も》まれ、船が離《はな》れて行けば、いっそう頼《たよ》りなげに見える、そのぼんやりした瞳に、ぼくが、テエプを抛ろうとすると、その瞳は、急に濡《ぬ》れてみえるほど、生々と光りだした気がしました。この娘は、まだ十七で、帰りに寄航したときも逢いましたし、内地に子供らしい手紙を度々《たびたび》くれました。
あとで、船室に集まった皆が、ハワイでの収穫《しゅうかく》を話しあったとき、坂本さんが、ニヤニヤ笑いながら、ぼくとだぼ沙魚嬢のロオマンスを素《す》ッ破抜《ぱぬ》きました。こんな巫山戯《ふざけ》た話になると、みんなとても機嫌《きげん》よく、森さんが、先《ま》ず、「ほう、大坂《ダイハン》は、最近、大当りだな」とひやかせば、松山さん、「色男は違《ちが》うな」と、大口開いて笑うし、虎さんは、「ドレドレ」とだぼはぜ嬢の写真をとって見ようとする。「俺《おれ》にも貸せ」と梶さんが手を伸《の》ばす。「待て、待て」と横から覗《のぞ》いていた沢村さんが怒る。あとは、ワアッと大笑いでした。
あなたとの友情も、こんなに巫山戯半分で、皆と共々に笑える余裕《よゆう》があったなら、あんなに皆から憎《にく》まれず、また、ぼくも苦しい想《おも》いをしなくても、済んだ、と思います。
十
それまでは皆《みんな》、ぼくを精々、嫉妬《しっと》するくらいで、別に詰問《きつもん》するだけの根拠《こんきょ》はなかったのですが、図《はか》らずも、ハワイで買った紅《あか》いセエム革の手帳が、それに役立つことになりました。
ハワイを出て、海は荒《あ》れだしました。甲板《かんぱん》に出ても、これまで群青《ぐんじょう》に、輝《かがや》いていた穏《おだ》やかな海が、いまは暗緑色に膨《ふく》れあがり、いちめんの白波が奔馬《ほんば》の霞《かすみ》のように、飛沫《しぶき》をあげ、荒れ狂《くる》うのをみるのは、なにか、胸|塞《ふさが》る思いでした。船の針路を眺《なが》めると、二三間もあるような、大きなうねりが、屏風《びょうぶ》をおし立てたように、あとからあとから続いて来ます。
さすが、巨《おお》きな汽船だけに、まア、リフトの昇降時《しょうこうじ》にかんじる、不愉快《ふゆかい》さといった程《ほど》のものでしたが、やはり甲板に出てくる人の数は少なく、喫煙室《スモオキングルウム》で、麻雀《マアジャン》でもするか、コリントゲエムでもやっている連中が多かったのです。
そういう時、ぼくは独《ひと》り、甲板の手摺《てすり》に凭《もた》れ、泡《あわ》だった浪《なみ》を、みつめているのが、何よりの快感でした。あなたとは、もう遊べませんでした。で、ぼくは、あなたとレエスのことばかり、空想していました。ボオトは、勝負はとにかく、全力を出し切らねばならない。全力を出し、クルウが遺憾《いかん》なく、闘《たたか》えたとします。そうしたら日本に帰って、あなたと堂々と結婚《けっこん》できると思う。
そんな風に楽しい空想を描《えが》いているときでも、絶えず、先輩達の眼、周囲の口が、想われて、それがなにより厭《いや》でした。こうした悪意に対して、ぼくは、それを、じっと受け応《こた》えるだけで、精一杯《せいいっぱい》でした。
当時、ぼくは二十|歳《さい》、たいへん理想に燃えていたものです。なによりも、貧しき人々を救いたいという非望を、愛していました。だから、その頃《ころ》、なにか苦しい目にぶつかると、あの哀れな人達《プロレタリアアト》[#「哀れな人達」にルビ]を思えと、自分に言いきかせて、頑張《がんば》ったものです。
それでいながら、例《たと》えば、舷側《げんそく》に沸《わ》きあがり、渦巻《うずま》き、泡だっては消えてゆく、太平洋の水の透《す》き徹《とお》る淡青さに、生命も要《い》らぬ、と思う、はかない気持もあった。
船室では、同室の沢村さん松山さんが、いないときが多かったので、いつでも、自分の上段の寝室《しんしつ》にあがり、寝《ね》そべって、日記をつけていました。日記の書き出しには、こんなことが書いてありました。
※[#二重かっこ開く]ぼくはあのひとが好きでたまらない。この頃のぼくはひとりでいるときでも、なんでも、あのひとと一緒《いっしょ》にいる気がしてならない。ぼくの呼吸も、ぼくの皮膚《ひふ》も、息づくのが、すでに、あのひとなしに考えられない。たえず、ぼくの血管のなかには、あのひとの血が流れているほど、いつも、あのひとはぼくの身近にいる。それでいて、ぼくはあのひとの指先にさえ触《さわ》ったことはないのだ。むろん触りたくはない。触るとおもっただけで、体中の血が、凍《こお》るほど、厭らしい。なぜだか、はっきり言えないが。
どこが好きかときかれたら、ぼくは困るだろう。それほど、ぼくはあのひとが好きだ。綺麗《きれい》かときかれても、判《わか》らない、と答えるだろう。利巧《りこう》かいといわれても、どうだか、としか返事できないだろう。気性が好きか、といわれても、さアとしか言えない、それ程、ぼくはあのひとについて、なんにも知らないし、知ろうとも、知りたいとも思わない。
ただ、二人でよく故里《ふるさと》鎌倉《かまくら》の浜辺《はまべ》をあるいている夢《ゆめ》をみる。ふたりとも一言も喋《しゃべ》りはしない。それでいて、黙々《もくもく》と寄り添《そ》って、歩いているだけで、お互《たが》いには、なにもかもが、すっかり解《わか》りきっているのだ。あたたかい白砂だ。なごやかな春の海だ。ぼくは、その海一杯に日射《ひざ》しをあびているように、そのときは暖かい。
が目ざめてのち、ぼくはあのひとの幻《まぼろし》だけとともに、まわりはつめたい鉄の壁《かべ》にとりかこまれ漸《ようや》く生きている気がする。
ぼくみたいな男でも、かりにも日本の Delegation として戦うのだ。自分の全力の砕《くだ》けるまで闘わなければ済まない。恋《こい》なぞ、という個人的な感情は、揚棄《アウフヘエベン》せよ。それが、義務だという声もきこえる。それより、ぼくも棄《す》てたいと望んでいる。が、そう考えているときのぼくに、はや、あのひとの面影《おもかげ》がつきそっている。あのひとが、そう一緒に望んでくれる、と思うのだ。
これからのぼくは、一心に、あのひとを、どっかに蔵《しま》い込《こ》もう。日本に帰る日まで、一個人に立ち返れるまで、とこの言葉を呪文《じゅもん》として、ぼくは、もう、あのひとの片影なりとも、心に描くまい※[#二重かっこ閉じ]
そう書いた、次の日の日記に、
※[#二重かっこ開く]かにかくに杏《あんず》の味のほろ苦く、舌にのこれる初恋のこと※[#二重かっこ閉じ]
もっと、ここに書くのも気恥《きはず》かしいほど、甘《あま》ったるい文句も書いてありました。で、ぼくは大切に、一々トランクの奥底《おくそこ》にしまい込んでいたのです。
ところが、ある日の午後、例によって、ベッドから、脚《あし》をぶらんぶらんさせ、トランクを台にして日記を書いていると、いま外に出たばかりの松山さんと沢村さんが、カッタアシャツ一枚で、ぬッと入って来ました。
ぼくは、あなたのことを、感傷的な形容詞で一杯、書き散らしていたところですから、なにか照れ臭《くさ》く、まごまごすると、慌《あわ》てて手帳をベッドの上の網棚《あみだな》に、抛《ほう》りあげ、そそくさ、部屋を出て行きました。
二十分程してから、もういないだろうと、恐《おそ》る恐る、扉《とびら》をあけると、松山さんは、ぼくのトランクに腰《こし》をかけたままでしたが、沢村さんは、ぼくの顔を見るや、立ち上がって、なにかを、ぼくの寝台に抛りあげ、そのまま、下段の自分のベッドに転がり、松山さんと、意味ありげに顔を見合せ、ぼくのほうを振《ふ》りかえります。
ぼくは、ばつが悪く、再び扉をしめ、出ようとすると、沢村さんが、「おい、大坂《ダイハン》」と呼びとめました。「え」といぶかるぼくに、「ああ、ぼくはあの女が好きでたまらない、か」と、ぼくの日記の一節を手痛く、叩《たた》きつけた。続いて、松山さんが、にこりともせず、怒《おこ》ったような口調で、「あア、好きで好きでたまらない、か」と言いざま、二人とも、声のない嘲笑《ちょうしょう》を、ぼくの胸にねじこむような眼付で、ぼくの顔をみながら、ドアをばたんと、乱暴に閉め、足音高く、出て行きました。
ぼくはカアッとなり、屈辱《くつじょく》の思いにひかれ、ベッドの上から、紅いセエム革の手帳を、鷲《わし》掴《づか》みにし、一気に、階段をとんであがり、誰もいない、Cデッキの蔭《かげ》に行ってから、思いッきり手帳をとおくに投げつけました。
手帳は、空中で風を受け、瞬間《しゅんかん》止まったようでしたが、ふっと吹《ふ》き飛ばされると、もう、遥《はる》かの船腹におちていました。沸騰《ふっとう》する飛沫に、翻弄《ほんろう》され、そのまま碧《あお》い水底に沈《しず》んで行くかと思われましたが、不意と、ぽッかり赤い表紙が浮《うか》び、浮いたり、沈んだり、はては紅い一点となり、消えうせ、太平洋の藻屑《もくず》となった。
十一
愚《おろ》かにもその晩、ぼくはよく眠《ねむ》れませんでした。
翌朝、いつもの様に、朝の駆足《モオラン》[#「朝の駆足」にルビ]をやっているときです。あのときのオリムピック応援歌《おうえんか》(揚《あ》げよ日の丸、緑の風に、響《ひび》け君が代、黒潮越えて)その繰返し《リフレイン》[#「繰返し」にルビ]で、(光りだ、栄《はえ》だ)と歌うべき処《ところ》を、皆《みんな》は、禿《はげ》さんと蔭《かげ》で呼んでいる黒井コオチャアヘのあてこすりから、(光りだ、禿だ)と歌うのです。ぼくは黒井さんが好きでしたし、その若禿の為《ため》に、許婚《いいなずけ》を失ったという、噂話《うわさばなし》もきかされているので、唱《うた》う気にはなれません。
と号令が速足進めに変り、「一《オイチ》、二《ニッ》、一《オイチ》、二《ニッ》」と、黒井さんが調子を張り上げます。「四番、もっと手を振って」と注意され、ぼくは勢いよく腕《うで》を振り上げようとすると、可笑《おか》しなことに、手と足と一緒《いっしょ》に動き、交互《こうご》にならないのです。例《たと》えば、右脚《みぎあし》をあげると、自然に右腕が上がって、左腕が上がらないのです。無理に、互い違いに動かそうとすると、手が上がらなくなるばかりではありません。歩けなくなるのです。
その不恰好《ぶかっこう》なざまは、忽《たちま》ち、皆に発見され、どッと笑いものにされて了《しま》いました。
「頼《たの》むぜ、おい、女の尻《しり》追いかけるのもいいが、歩くのだけは一人前に歩いてくれよ」と森さん。「ボオト
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