一時に、色褪《いろあ》せた気持でした。
六
それから、三人|揃《そろ》って、芝居《しばい》を見に行きました。なにをやっていたか、もう忘れています。多分、碌々《ろくろく》、見ていなかったのでしょう。ぼくは別れて、後ろの席から、あなたの、お下げ髪《がみ》と、内田さんの赤いベレエ帽《ぼう》が、時々、動くのを見ていたことだけ憶《おぼ》えています。
それからの日々が、いかに幸福であったことか。未《ま》だ、誰《だれ》にも気づかれず、ぼくはあなたへの愛情を育てていけた。ぼくはその頃《ころ》あなたと顔を合せるだけで、もう満ち足りた気持になってしまうのでした。朝の楽しい駆足《かけあし》、Aデッキを廻《まわ》りながら、あなた達が一層下のBデッキで、デンマアク体操をしているのが、みえる処《ところ》までくると、ぼくはすぐあなたを見付けます。
なかでも、長身なあなたが、若い鹿《しか》のように、嫋《しな》やかな、ひき緊《しま》った肉体を、リズミカルにゆさぶっているのが、次の一廻り中、眼にちらついています。今度、Bデッキの上を駆ける頃になると、あなたは、海風に髪を靡《なび》かせながら、いっぱいに
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