ないほど囲まれると、また、我慢できぬほど猛烈《もうれつ》に、起ってきて、ぼくは教わったばかりの船室《ケビン》にもぐりこみ、思う存分、笑ってから、再びデッキに出たのです。
 昔《むかし》、教えて頂いた中学、学院の諸先生、友人、後輩《こうはい》連も来ていてくれました。銅鑼《どら》が鳴ってから一件の背広を届けに、兄が、母の表現を借りると、スルスルと猿《ましら》のように、人波をかきわけ登ってきてくれました。これは帰朝してから、聞いたことですが、故郷|鎌倉《かまくら》での幼馴染《おさななじみ》の少年少女も来ていてくれたそうです。なかでも、波止場《はとば》の人混《ひとご》みのなかで、押し潰《つぶ》されそうになりながら、手巾《ハンカチ》をふっている老母の姿をみたときは目頭《めがしら》が熱くなりました。周囲に、家の下宿人の親切な人が、二人来ていてくれたので安心しながら、ぼくは、兄が買ってくれたテエプを抛《ほう》りましたが、なかなか母にとどきません。
 女学生の一群にとび込《こ》んだり、学校の友人達の手にはいったりしても、母にはとどかないのです。その内、漸《ようや》く、一つが、母の近くの、サラリイマン風
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