す。災難だから、仕方がない。明朝、出発のときは、ブレザァコオトをきて颯爽《さっそう》と出て来るように言って下さい。なアに、学生服で、あちらに行ったって、差支《さしつか》えないでしょう、と言い置いてくれた由《よし》。兄は、その頃、すでに、共産党のシンパサイザァだったらしいのですから、ぼくや母の杞憂《きゆう》は、てんで茶化していたようでしたが、さすがに、一人の弟の晴衣《はれぎ》とて心配してくれたとみえます。母といい、兄といい肉親の愛情のまえでは、ひとことの文句も言えません。
服は仮縫《かりぬ》いなしに、ユニホォムと同色同型のものを、出帆《しゅっぱん》の時刻までに、間に合してくれることになりましたが、やはり出来てきたのは少し違うので、ぼくはこの為、旅行中、背広に関しては、いつも顔を赤らめねばなりませんでした。
三
出発の朝、ぼくは向島《むこうじま》の古本屋で、啄木《たくぼく》歌集『悲しき玩具《がんぐ》』を買い、その扉紙《とびらがみ》に、『はろばろと海を渡《わた》りて、亜米利加《アメリカ》へ、ゆく朝。墨田《すみだ》の辺《あた》りにて求む』と書きました。
それから、合宿で、恒
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