取り囲まれていましたが、ぼくの姿をみるなり「ああ坂本君」と呼んで「この人もボオトの選手です。大きいでしょう」とか、紹介《しょうかい》しておいて、自分は歓迎に来ている県人会の人達のほうへ行ってしまいました。ぼくは周囲の女性達をみるなり、坂本さんが、ぼくに委《まか》して、立ち去ったのが、すぐ諒解《りょうかい》できました。美醜《びしゅう》はとわず、とにかく、その頃の言葉で、心臓の強いお嬢さん達でした。
いずれも二十歳前後の娘さんとみえますが、なかに一人、豊かに肥《こ》えた肩《かた》をむきだした洋装の、だぼ沙魚《はぜ》みたいなお嬢さんが、リイダア格で、「サインして下さいよう」とサイン帳をつきだすと、あとは我も我もと、キャアキャア手帳をつきつけます。「ぼくなんかサインしてもつまりませんよ」と、それでも押《お》しつけられるままに、ぼくが女持の万年筆を借りて、Xth Olympic, Japanese Rowing Team, No.4. S. Sakamoto と書きながら、驚いたのは、そのだぼはぜ嬢、「好《い》いのよ、好いのよ」と嬌声《きょうせい》を発し、「あなた、とても好いわ」とぼくの肩に手を置いた事です。馬鹿です。ぼくは相好《そうごう》崩して喜んだらしい。「チャアミングよ」というお嬢さんもいれば、「日本人で、こんなに大きい。スプレンディッド」という女《ひと》もいる。いよいよ、好い気持になって、ワアワアヘしあってくる娘さん達の、香油《こうゆ》と、汗《あせ》と白粉のムッとする体臭《たいしゅう》にむせていると、いきなり、また吃驚《びっくり》させられました。というのは、そのだぼはぜ嬢が、愈々《いよいよ》、瞳《ひとみ》に媚《こび》をたたえて、「けっして、助平とは思わないでね」とウインクをするのです。失礼! が、ぼくはふき出したい衝動《しょうどう》のあとで、泣き出したいような気になりました。だって、このお嬢さん達は、きっと祖国を知らないんだ。だから日本の礼儀《れいぎ》、日本の言葉もよく知らないのだろう。笑ってはいけない、と思いました。で、「ええ、思いませんとも」真面目に言いきりましたが、そういう口の端《は》から、へんに肉感的な微苦笑《びくしょう》が、唇を歪《ゆが》めるのを、押《おさ》えられませんでした。
すると、そのだぼはぜ嬢はいきなり、ハンドバッグのなかから、自分の写真を取り出し、サインをしてくれます。と傍《そば》から、「わたしも上げる」とか言いながら、パアスを探すお嬢さんがいます。二三枚、貰った写真は、何《いず》れもブロマイド式に凝《こ》ったものですが、正直|綺麗《きれい》なひとは、一人もいませんでした。
その上、「あなた、メモ貸して、ミイのアドレス書く」と、だぼはぜ嬢が切り出し、また、続けて、二三人が、達者な英語で、御自分のアドレスを書いてくれました。
「あなた、向うのアドレス、着いたら、教えて」とだぼはぜお嬢さんが言うのを、うんうん肯《うなず》いている中、ぼくは、そのグルッペの隅《すみ》に、ひとりの可憐《かれん》な娘を見つけました。
美しい顔ではありませんが、色の黒い、瘠《や》せた顔に、子供らしい瞳が、くるくるしていて可愛《かわい》らしい。先刻から、だぼはぜさんの蔭にかすんで、悄然《しょんぼり》しているのが、今朝からのあなたの姿に連想され、「テエプ、この裡《うち》の一人に抛ってね」とだぼはぜ嬢が自信ありげに念を押したとき、よしあの娘《こ》に抛ろうと、とっさに決めたのでした。
出帆の銅鑼《どら》が鳴りだしたとき、ぼくは白いテエプを、その娘に投げてやりました。淋《さび》しい顔立が、人混《ひとご》みに揉《も》まれ、船が離《はな》れて行けば、いっそう頼《たよ》りなげに見える、そのぼんやりした瞳に、ぼくが、テエプを抛ろうとすると、その瞳は、急に濡《ぬ》れてみえるほど、生々と光りだした気がしました。この娘は、まだ十七で、帰りに寄航したときも逢いましたし、内地に子供らしい手紙を度々《たびたび》くれました。
あとで、船室に集まった皆が、ハワイでの収穫《しゅうかく》を話しあったとき、坂本さんが、ニヤニヤ笑いながら、ぼくとだぼ沙魚嬢のロオマンスを素《す》ッ破抜《ぱぬ》きました。こんな巫山戯《ふざけ》た話になると、みんなとても機嫌《きげん》よく、森さんが、先《ま》ず、「ほう、大坂《ダイハン》は、最近、大当りだな」とひやかせば、松山さん、「色男は違《ちが》うな」と、大口開いて笑うし、虎さんは、「ドレドレ」とだぼはぜ嬢の写真をとって見ようとする。「俺《おれ》にも貸せ」と梶さんが手を伸《の》ばす。「待て、待て」と横から覗《のぞ》いていた沢村さんが怒る。あとは、ワアッと大笑いでした。
あなたとの友情も、こんなに巫山戯半分で、皆と共々に笑える余裕《よゆう
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