け去ってしまいました。
さて、ぼくは、あなたの傍《そば》のデッキ・チェアに坐《すわ》り直してはみましたが、やはり、烈《はげ》しい羞恥《しゅうち》にいじかんだような、堅《かた》いあなたの容子《ようす》をみていると、ぼくも同様あがってしまい、その癖《くせ》、意地悪いうちの連中がやってきて、なにか言うなら言え、とそのときの糞度胸《くそどきょう》はきめていたのですが、愈々《いよいよ》話をする段になるとなにから話そうかと切りだす術《すべ》をさがして、ぼくは外見落着きを装《よそお》ってはいるものの、頭のなかは火のように燃えていました。
と、自分の靴先《くつさ》きをみるともなく見詰めていたぼくの瞳《ひとみ》に、あなたの脚《あし》が写ってきました。海風が、あなたのスカアトをそよと吹《ふ》く、静かな一瞬です。短かい靴下《ソックス》を穿《は》いていたあなたの脚に生毛《うぶげ》がいっぱいに生えているのがみえました。そのときほど、毛の生えた脚をしているあなたが厭《いや》らしく見えたことはありません。
男は女が自分に愛されようと身も心も投げだしてくると、隙《すき》だらけになった女のあらが丸見えになり堪《たま》らなく女が鼻につくそうです。女が反対に自分から逃げようとすればするほど、女が慕《した》わしくなるとかきいています。そこに手練手管《てれんてくだ》とかいうものが出来るのでしょう。
ぼくは羞恥に火照《ほて》った顔をして、ちょこんと結んだひっつめの髪《かみ》をみせ、項垂《うなだ》れているあなたが、恍惚《こうこつ》と、なにかしらぼくの囁《ささや》きを待ち受けている風情《ふぜい》にみえると、再び毛の生えたあなたの脚がクロオズアップされ、悪寒《おかん》に似た戦慄《せんりつ》が身体中を走りました。
ぼくはそれ迄《まで》あなたへの愛情に、肉慾《にくよく》を感じたことがなかった。然《しか》しこの時、あなたの一杯に毛の生えた脚の、女らしい体臭《たいしゅう》に噎《む》せると、ぼくはぞっとしていたたまれず、「熊本さんは肥《ふと》りましたね」とかなんとか、あなたの萎《やつ》れを気づかっていたつい最前の自分も忘れ、お座なり文句もそこそこに、立ちあがると逃げだしてしまいました。海を眺めに行ったのです。あとに残ったあなたの淋《さび》しい表情が、形容のつかぬ残酷《ざんこく》さで黙殺《もくさつ》できると同時に、あなたの、やるせなさそうな表情は心に残った。ぼくは自分を勝手だとおもいました。膨《ふく》れあがった海をみながら――。
二十二
とかく帰りの旅は気もゆるみ易《やす》く、且《か》つ練習がないので、みんなは酒を飲んだり、麻雀《マアジャン》をしたりした無為《むい》の日々を送っていましたが、どうも一種、頽廃《たいはい》の気風がなにか船中に漂《ただよ》いだした感じがしてなりませんでした。
ハワイに入る前夜、園遊会が盛大《せいだい》に開かれ、会長のK博士夫妻もインデアンの羽根飾《はねかざ》り帽《ぼう》を冠《かぶ》って出場する和《なご》やかさでした。
ぼくは借り物競争に出て、算盤《そろばん》と女の帽子と草の葉を一枚、集めてくるのにあたり、はじめに近くに見物していた内田さんの頭から、ものもいわずに、紅《あか》いベレエ帽をひったくり、ポケットにねじこむと、ドタドタと階段をおっこちて、事務所に殺到《さっとう》、事務員のひとが、呆気《あっけ》にとられているか、笑っているのか見極《みきわ》めもできぬ素早さで算盤をひったくり、次いで、階段を、大股《おおまた》に、三段位ずつ飛びあがって、頂辺《てっぺん》のガアデン・ルウムに入ろうとすると、ぴったり足がとまりました。緑|滴《した》たる芭蕉《ばしょう》の葉かげに、若い男女が二人、相擁《あいよう》しあって、愛を囁《ささや》いているのです。それだけをみて、ぼくはくるりと引っ返し、競争を廃棄《はいき》しました。算盤をかえして、次にベレエ帽をかえすとき、内田さんは、「ぼんち、どうして止《や》めたの」と訊《き》かれ、「草の葉がなかったんだ」と答えると、「莫迦《ばか》ね。ここにあるじゃないの」と彼女の胸にさしていた、忘れな草の造花を差出してくれました。
二十三
再び青きハワイ――。
ワイキキ。プウルを村川と二人、平泳の競泳をしながら、日本へ帰ったらうんと遊ぼうや、とつまらない約束《やくそく》をし、プウルから上がり、脱衣場《だついじょう》に戻《もど》って行ったら、まんまと五|弗《ドル》入りの財布《さいふ》を盗《ぬす》まれていました。
ホノルルの日本領事館で、官民合同の歓迎会《かんげいかい》が催《もよお》されたのち、邦人《ほうじん》の方の御好意《ごこうい》で、選手一同ハワイの名勝ダイヤモンド・ヘッドからハナウマイヘかけて、見
前へ
次へ
全47ページ中38ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 英光 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング