り《マアケットストリイト》[#「市場通り」にルビ]で、一本五十|仙也《セントなり》の赤ネクタイを買ったことも、今は懐《なつか》しい思い出のひとつです。
しかし、その夜、フォックス劇場《シアタア》できいた『君が代』の荘厳《そうごん》さは、なお耳底にのこる、深刻なものがありました。シュウマンハインクとかいう、とても肥《ふと》ったお婆《ばあ》さんで、世界的な歌手が、我々が入場して行くと、日の丸の旗と、星条旗を両手に持ち、歌ってくれたのです。満場の視線が、明るいライトを浴びた我々に集まり、むずかゆい様な面映《おもは》ゆさでした。が、その明るい光線を横ぎって、身体《からだ》をすぼめ、腰《こし》を降ろした、あなたの黒い影が、焼きつくように、ぼくの網膜《もうまく》に残っていました。あなたは、随分《ずいぶん》、窶《やつ》れていた。
翌日、南加《サウスカルホルニア》大学で、艇《てい》を借りられるとのことで、練習に行きました。金門湾を廻《まわ》って、オオクランドに出て、一路|坦々《たんたん》、沿道の風光は明媚《めいび》そのものでした。鵞鳥《がちょう》が遊ぶ碧《あお》い湖、羊《ひつじ》の群れる緑の草原、赤い屋根、白い家々。大学もそんなユウトピアの中にあります。
艇を借りるとき、世話を焼いてくれた、親切な南加大学の補欠漕手《サブそうしゅ》の上背も、六尺八寸はあり、驚《おどろ》かされたことでした。
練習コオスは流れる淀《よど》み、オォルがねばる、気持よさです。久し振《ぶ》りに、はりきった、清さんの号令で、艇は船台《ランディング》を離《はな》れ、下流に向いました。
と、突然《とつぜん》、漕《こ》ぎすぎようとする橋の上に、群れていた観衆が、なつかしい母国語で、「万歳《ばんざい》」を叫んでくれます。みれば、顔の黄色い、日本人ばかり。おおかた、聞き伝えて、近在から寄り集まった移民のお百姓達《ひゃくしょうたち》でありましょう。質素な服装《ふくそう》、日に焼けた顔、その熱狂ぶりも烈《はげ》しくて、彼等の朴訥《ぼくとつ》な歓迎には、心打たれるものがありました。
ぼくは、愈々《いよいよ》、あなたを忘れねば、と繰返《くりかえ》し、オォルに力を入れて、スライドを蹴《け》っていたときです。前のシイトの松山さんが、「止《や》めい、止めろ」と叫びざま、オォルを投げだすや、振返って、ぼくを睨《ね》めつけ、「
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