フ人混《ひとご》みに揉《もま》れ、段々、酔いが覚めて白々しい気持になるのでした。もうそのまま、帰りたくもなりましたが、皆で来ているのでそれもならず、再び店内に入ると、もはや、ほろ苦くなった酒を呻《あお》るのも止《や》めてしまった。間もなく、マスタアが出て来て、「お写真をとらせて下さい」という。酔払った連中は、二つ返事で銘々《めいめい》美女を相擁《あいよう》し、威勢《いせい》よくシャムパングラスを左手に捧《ささ》げ立った処《ところ》を、ポッカアンとマグネシュウムが弾《はじ》けて一同、写真に撮られてしまいました。
所詮《しょせん》、だらしのないぼくが、そんなにも女色が嫌《きら》いだったというのは偏《ひと》えに、あなたからの手紙の御返事を待っていたからです。
県人会でお逢いした翌日、ぼくは横浜へ着いた日に撮ったあなたの写真を、すぐあなたの寄宿舎のほうへ送っておきました。勿論《もちろん》、あなたの御迷惑《ごめいわく》を考え、あっさりした御手紙を添《そ》えておいたのですが、きっと返事が来るだろうと信じていました。返事が来れば、それからお付合をして、或《ある》いは結婚が出来るかとも思っていました。
ぼくはその夏、鎌倉《かまくら》の家へ行っていました。
毎日、夕暮《ゆうぐれ》になるとあなたからの手紙が廻送《かいそう》されているような気がして、姉の子をおぶい、散歩に出た浜辺《はまべ》から、祈《いの》るような気持で、姉の家に帰って行ったものです。
相模《さがみ》の海の夕焼け空も、太平洋の夕照とかわりありません。到頭《とうとう》あなたの手紙は来なかった。
それから間もなく、ぼくは兄の指導下に、学内のR・Sを手始めとして、段々本格的な左翼《さよく》運動へと走って行きました。続いて学内サアクルの検挙、一人の母を棄《す》てて地下へ、工場へ。ストライキから掴《つか》まって転向、というヤンガアジェネレェション一通りの経過をへたぼくが、狂熱《きょうねつ》的な文学青年になったのは、オリムピックの翌々年の春でした。
なにより先に、あなたとの思い出が書きたく、すでに書き溜《だ》めの原稿紙《げんこうし》も五六十枚になった頃、偶然《ぐうぜん》、新宿の一食堂で、中村さんに逢いました。
暫く見ないうちにすっかり大人になった、来年はまた伯林《ベルリン》に行けると張切っていた中村さんから、先《ま》
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