ないほど囲まれると、また、我慢できぬほど猛烈《もうれつ》に、起ってきて、ぼくは教わったばかりの船室《ケビン》にもぐりこみ、思う存分、笑ってから、再びデッキに出たのです。
昔《むかし》、教えて頂いた中学、学院の諸先生、友人、後輩《こうはい》連も来ていてくれました。銅鑼《どら》が鳴ってから一件の背広を届けに、兄が、母の表現を借りると、スルスルと猿《ましら》のように、人波をかきわけ登ってきてくれました。これは帰朝してから、聞いたことですが、故郷|鎌倉《かまくら》での幼馴染《おさななじみ》の少年少女も来ていてくれたそうです。なかでも、波止場《はとば》の人混《ひとご》みのなかで、押し潰《つぶ》されそうになりながら、手巾《ハンカチ》をふっている老母の姿をみたときは目頭《めがしら》が熱くなりました。周囲に、家の下宿人の親切な人が、二人来ていてくれたので安心しながら、ぼくは、兄が買ってくれたテエプを抛《ほう》りましたが、なかなか母にとどきません。
女学生の一群にとび込《こ》んだり、学校の友人達の手にはいったりしても、母にはとどかないのです。その内、漸《ようや》く、一つが、母の近くの、サラリイマン風の人に取られたのを、下宿人のHさんが話して、母に渡してくれました。少しヒステリイ気味のある母は、テエプを握《にぎ》り、しゃくり上げるように泣いていました。あまり泣くのをみている内、なにか、ホッとする気持になり、左右を見廻《みまわ》すと、大抵《たいてい》の選手達が、誰《だれ》でも一人は、若い女のひとに来て貰《もら》っている、花やかさに見えました。
ぼく達のクルウでも、豪傑《ごうけつ》風な五番の松山さん迄が、見知り越しのシャ・ノアルの女給とテエプを交《かわ》しています。殊《こと》に美男《ハンサム》な、六番の東海さんなんかは、テエプというテエプが綺麗《きれい》な女に握られていました。肉親と男友達の情愛に、見送られているぼくは幸福には違《ちが》いありません。が、母には勿体《もったい》ないが、娘《むすめ》さんがひとり交《まじ》っていて、欲《ほ》しかった。
その淋《さび》しい気持は出帆《しゅっぱん》してからも続きました。見送りの人達の影《かげ》も波止場も霞《かす》み、港も燈台も隔《へだ》たって、歓送船も帰ったあと、花束や、テエプの散らかった甲板《かんぱん》にひとり、島と、鴎《かもめ》と、波のう
前へ
次へ
全94ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 英光 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング