ぼくは二階の廊下《ろうか》を歩き、屋上の露台《ろだい》のほうへ登って行きました。眼の下には、鋭《するど》い舳《バウ》をした滑席艇《スライデングシェル》がぎっしり横木につまっています。そのラッカア塗《ぬ》りの船腹が、仄暗《ほのぐら》い電燈に、丸味をおび、つやつやしく光っているのも、妙《みょう》に心ぼそい感じで、ベランダに出ました。遥か、浅草《あさくさ》の装飾燈《そうしょくとう》が赤く輝《かがや》いています。時折、言問橋《ことといばし》を自動車のヘッドライトが明滅《めいめつ》して、行き過ぎます。すでに一|艘《そう》の船もいない隅田川《すみだがわ》がくろく、膨《ふく》らんで流れてゆく。チャップチャップ、船台を洗う波の音がきこえる、ぼくは小説《ロマンス》めいた気持でしょう、死にたくなりました。死んだ方が楽だと、感じたからです。
大体が、文学少年であったぼくが、ただ、身体の大きいために選ばれて、ボオト生活、約一箇年、「昨日も、今日も、ただ水の上に、陽が暮《く》れて行った」と日記に書く、気の弱いぼくが、それも一人だけの、新人《フレッシュマン》として、逞《たくま》しい先輩達に伍《ご》し、鍛《きた》えられていたのですから、ぼくにとっては肉体的の苦痛も、ですが、それよりも、精神的なへばりのほうが我慢できなかった。
ぼくは、ボオトのことばかりでなく、日常生活でも、することが一々|無態《ぶざま》だというので、先輩達にずいぶん叱られた。叱られた上に馬鹿にされていました。ぼくみたいに、弱気な人間には、ひとから侮辱《ぶじょく》されて抵抗《ていこう》の手段がないと諦《あきら》め切る時ほど、悲しい事はありません。なにをいっても、大坂《ダイハン》は怒《おこ》らない、と先輩達は感心していましたが、怒ったら、ボオトを止《や》めるよりほかに手段がない。また、そうしてボオトを止めるのは、ぼくのひそかに傲慢《ごうまん》な痩意地《やせいじ》にとって、自殺にもひとしかった。
それで、背広を失くした苦痛に、加えて、こうした先輩達の罵声が、どんなに辛辣《しんらつ》であろうかと、思っただけでもたまりません。蔭口《かげぐち》や皮肉をとばす、整調森さんの意地悪さ、面とむかって「ぶちまわすぞ」と威《おど》かす五番松山さんの凄《すさ》まじさ、そうした予感が、堪《た》えがたいまでに、ちらつきます。またそうした先輩達の笞
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