んだよ」と卒直な感想を語りそうな錯覚がする。
 大学を出てやっと就職したかと思えば、昭和十二年、日本軍閥の中国に仕向ける侵略戦争はとめどがなくなり、ぼくも補充兵として召集を受け、半年足らず原隊で人殺しの教育を受けてから北支の前線に引張りだされた。その頃から日本人は肉親、友人、愛人とやたらに「さようなら」を云い合うようになったのだ。日本人の戦争道徳は(生きて帰ると思うなよ)である。出征の際、(また逢う日まで)を祈る別離の言葉なぞとんでもない。どうしても、(左様なる運命だからお別れします)の「さようなら」がいちばんふさわしい。その上、女のひとだと、「さようなら」に「御免下さい」をつけ加える。(そうした運命になったのをお許し下さい)と強権に対し更に卑屈に詫びているのである。まるで奴隷の言葉と呆れるより他はない。
 ぼくたちはそうした奴隷の言葉に送られた、奴隷の軍隊としての惨虐性を中国において遺憾なく発揮した。「グッドバイ」の意味する如く、神を傍らに持たず、中国語の、さよなら「再見《ツァイチェン》」の意味する、愛する人たちとの再会の希望もない軍隊は、相手の人間をいたずらに傷つけ殺し軽蔑し憎悪す
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