ウス映画で未だ特攻機の出現に拍手を送るほど、自分たちの戦争で受けた傷に無意識な日本人は、それだけに第三次大戦で一儲けの悪逆な妄想を抱いたり、政府の一長官の神経衰弱による自殺から、国鉄の線路上に悪童が石を置くイタズラまで、全て共産党の暴力と宣伝されると、それを鵜のみにするほど理性がなかったり、踊る宗教、ヒロポン、アドルム、肉体文学、パンパン、男娼エトセトラに、目かくしされた蠅が本能的触覚で一直線にウンコにとびつくみたいな必然さで熱中する。而しそうした遣切れぬほどの無知で不潔で図々しいぼくたちの間にも、未来のある子供たちや真面目な勤労者、誠実な民主政治家が同時に沢山、生きている事実も無視することはできぬ。
処で、ぼくは自分が、時代に傷つけられ、遣切れぬほど無知で不潔で図々しい日本人たちのひとりになってしまったと実感する故、生理的|厭悪感《えんおかん》でそうした事実に目をふさぎ、生命の尊厳さや愛する人たちへの責任感をしきりに忠告する自分の理性も無視し、一刻も早く、この人生に「さようなら」を告げたい。
「さようなら」神よ常に別れる汝の傍にあれでもなければ、また逢う日までなぞという甘美な願いも含まれていない虚無的な別離を意味する日本語。ぼくはそんな空しく白々しい別れの言葉だけが生れ残ってきた処に、この上なく日本の歴史と社会の貧しい哀しさを思うのである。
ぼくは自分から、「さようなら」をいう前に、この三十七歳迄に向うから先に、「さようなら」された多くの肉親や友人のことを想いだしてみよう。ぼくは大正二年、東京赤坂で生れたが、爾来《じらい》、既に胸の悪かった亡父が渋谷、三浦三崎、鎌倉材木座、姥ヶ谷と転々、居を移したのに従い、十歳頃まで一個所に安住した思い出はない。それに現在では六尺二十貫の大男、アドルム中毒と種々の妄想症の他、別に病気はないが、幼年時は百日咳、ジフテリヤ、チフス、赤痢、おまけに狂犬にさえ噛まれた経験さえあるほど多災多病で、時々めまいがして卒倒したり、二六時中、生命の危険に直面させられていた。
だから死に対し普通の幼児はただ無関心のように感じられるが、ぼくの場合は白昼にでも死を想えばうなされるほどの興味や憎悪があった。そんなぼくに、最初に、「さようなら」した肉親は同居していた母方の祖母で、六十そこそこの病死だったと思うが、恐ろしく厭な記憶は自然に忘却できる人間心
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