負けない少年
吉田甲子太郎
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)可愛《かわい》らしい
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)えこひいき[#「えこひいき」に傍点]
−−
一
北アメリカ大陸の北はずれ、北極海にのぞんだアラスカのお話です。
この地方には、エスキモーという人種が氷の原に雪小屋をつくって、住んでいます。
キーシュは、あるエスキモーの村で、どの雪小屋よりも一番みじめな雪小屋にお母さんと二人っきりで住んでいる可愛《かわい》らしい少年でした。キーシュのお父さんは立派な狩人《かりゅうど》で、村が飢饉《ききん》で困った年に、村人たちのために食物にする肉を取って来ようとして獣とたたかい、とうとう命を落したのです。しかし、そういうことは、もう村人たちにも忘れられてしまって、あとに残ったキーシュとお母さんとは、貧しい暮しをしなければなりませんでした。
だが、キーシュは今ではもう十三歳になり、お父さんゆずりのがんじょうさと負けん気とを持つようになりました。
ある日、村の寄合《よりあい》の席で、村の頭《かしら》がもう別に何もいうことはないか、と一座を見まわした時に、何と思ったか子供のキーシュがぬっと立ちあがりました。そして彼は、この間自分とお母さんのところへ分けてもらった肉は、硬《こわ》くて古くて骨だらけだった。これからはもっとちゃんとした肉をもらいたいものだと、おそれげもなく文句をつけました。
彼は自分の力で自分の権利を守ろうと決心したのです。しかし、皆は子供のくせにと思って、キーシュの生意気《なまいき》なのにあきれかえりました。そこで、これからおとなの寄合に出て、生意気な口をきくとなぐるぞとおどかしつけて、彼を坐らせようとしました。
ところが彼はおどりあがって、皆が頼《たの》みに来るまでは、もう二度と寄合へ出て口なんかきいてやらないぞ、と負けずにどなり返《かえ》しました。その上、これから僕は僕だけで狩《かり》をする、僕の殺して来た獣の肉はえこひいき[#「えこひいき」に傍点]なしに皆に分けてもらいたい、村の弱い人たちに、弱いからというので、ひどい分け方をするようなことをしてもらいたくない、といばりちらしました。それから小さな肩をそびやかして、その寄合のある雪小屋から出てゆきました。
おとなたちはうしろからからかったり、馬鹿にしたわらい声を投げつけたりしましたが、キーシュはかたく口を結んで、しっかり真正面を向いてふりむきもしませんでした。
二
翌日彼は、どこへゆくのか、氷と陸地がつながり合う海の縁《へり》を歩いてゆきました。彼に出会った人は、彼が弓と骨の矢尻《やじり》をつけた沢山の矢を持ち、お父さんが狩に使っていた大きな鎗《やり》を、小さな背中に背負っているのに気がつきました。皆はこの小生意気なふうてい[#「ふうてい」に傍点]を見て笑いました。そして寄るとさわるとキーシュのことばかり話し合いました。こんなことはこれまでにないことです。彼のようなかよわい年で、狩に出かけた者は一人だってありません。まして一人っきりで出てゆくなんて思いもよらないことでした。中には心配そうに首を傾《かし》げたり、可哀《かわい》そうなことが起りはすまいかと、つぶやいたりする人もありました。村の女たちが気の毒そうな目で母親の方を眺めるので、彼女の顔は沈んで悲しそうでした。
「なアに、じきに帰って来るでしょうよ」
女たちは、キーシュのお母さんに、元気をつけるようにいってくれます。
「勝手にゆかせる方がいいんだ。それがあの子のためになるんだ。すぐに帰って来るさ。そして、これからはもっとおとなしい口をきくようになるだろうよ」
男たちはそんなふうにいいました。
一日たち、二日たちました。そして三日目には激しいはやて[#「はやて」に傍点]が吹きました。しかし、キーシュは帰ってきません。お母さんは見るもいたましい悲しみようです。女たちは、皆がキーシュをいじめて、死にに出してやったといって、ひどい言葉で男どもをせめました。男たちは今更《いまさら》なんとも返事ができず、嵐がしずまったら死骸《しがい》を探しにゆこうかと、その支度《したく》をしはじめました。
三
ところが、翌朝早くキーシュは悠々《ゆうゆう》と村の中へ入って来ました。きまりの悪そうな顔などしていません。背中には殺した獣《けもの》から切りとったばかりの生々《なまなま》しい肉を背負っています。勿体《もったい》ぶった歩きぶりだし、えらそうな口のきき方です。
「さア村の人たち、犬に橇《そり》を引っぱらせて、たっぷり一日ばかり僕の足跡をつけてさがしにゆくがいいよ。氷の上に肉が沢山あるはずだ――雌熊《めすぐま》が一匹、おとなになりかけの子熊が二匹だ」
母親の喜びようったらありませんでした。しかし彼はお母さんの喜びを男らしい様子でうけとめました。
「お母さん、さア食べましょう。それから眠らせて下さい。僕、くたびれているんですから」
それから彼は自分の雪小屋へはいって、十分に食べ、そのあとで二十時間もつづけて眠りました。
村人たちにはいろいろな疑問が起りました。それから果《はて》しもない議論がつづきました。北極熊を殺すのは非常に危険なことです。殊《こと》に子熊をつれた母熊を殺すのは、普通の三倍も、いや三倍の三倍も危険なことです。男たちは少年キーシュがたった一人でそんなえらいことを仕遂《しと》げたとは、なんとしても信じられませんでした。
しかし、女たちは彼が背負って来た生々しい肉のことをいい立てます。男たちが信じまいとしても、目で見た事実にはかないません。そこで、男たちは、たとえキーシュのいうことがほんとうだとしても、あいつは倒した獣をちゃんと始末して来なかったにちがいない、そいつが困りものだ、などとぶつぶついいながら、とうとう出かけてゆきました。
男たちがなぜそんな心配をしたかというと、北極地方では、獣を殺したらすぐに幾つかに切り放しておかなければならないのです。そうしないと、肉はかちかちに凍《こお》ってしまって、どうすることも出来なくなるのです。ところが、キーシュにいわれた場所へ着いてみると、皆の疑っていた熊の死がいがあったばかりでなく、彼は一人前の狩人がやる通り、その三頭の熊を、それぞれ四つに切り放し、ちゃんとはらわたまでぬいておいたことが分かったので、みんなはびっくりしてしまいました。
そしてキーシュのような子供が、どうしてこんなすばらしい狩が出来たかという不思議は、だんだん深くなるばかりでした。しかしキーシュはそんなことにはかまわず狩をつづけました。すぐ次の狩に出た時には、彼はほとんどおとなになりきった若い熊を殺し、またその次には大きな雄熊《おすぐま》とその連《つれ》の雌熊《めすぐま》とを殺しました。彼の狩はたいてい三四日がかりでしたが、一週間くらい氷原《ひょうげん》へ出ていったきりのことも、めずらしくはありませんでした。
狩に出る時には、彼はいつも人をつれてゆくことを断《ことわ》りました。それを皆はまた不思議に思うのでした。
そのうちに、あれは魔法だといううわさが村にひろがりました。
ある人はこんなふうにいいはるのです。
「あの子は悪魔どもの助けで狩をしているのだ。それで狩がうまくいくんだ。悪魔どもといっしょでなくて、ああ都合よくいくわけがあるものか」
するとこう答える人もありました。
「悪魔ではなくて、いい幽霊が手伝っているのかも知れないぞ。あの子のお父さんは立派な狩人だった。だから親爺《おやじ》の幽霊が、自分の子供を立派な我慢づよい利口な人間にしようと思って、手伝いに出て来るのかも知れないからなア」
四
それは兎《と》に角《かく》、キーシュの狩はその後も成功つづきです。意気地《いくじ》のない村人たちは、彼が取った肉を運ぶのに忙《せわ》しいという有様でした。彼は、彼のお父さんがそうだったように、自分の取って来た肉を皆に分けるのに、至極《しごく》公平で、一番力のないお婆《ばあ》さんや、年をとったお爺《じい》さんがきちんとした分けまえを受けとるようによく気をつけ、自分では、いるだけよりも余計な肉を決して取っておこうとしませんでした。
このためと、また狩人としてのそのすぐれた力のために、彼はだんだん村人たちから尊敬され、おそれられさえするようになりました。彼をつぎの頭《かしら》にしようという話さえ起って来ました。こうなってみると、皆は彼がまた寄合《よりあい》に出てくれればよいと思うようになりました。しかし彼はどうしても出て来ません。皆の方では前のことがあるので出てもらいたいと頼むことが出来ないで困っていました。
ある日、キーシュは頭や村の狩人たちにいいました。
「僕は雪小屋を建てたいと思っているんですがね。僕とお母さんが居心地よく暮せる大きな雪小屋でなくっちゃいけないんです」
「うん」
皆は真剣な顔をしてうなずきました。
「けれども僕には暇《ひま》がないんです。僕の仕事は狩だ。狩でちっとも暇がないんです。僕の取って来る肉を食べてる村の男の人たちや女の人たちが、僕に雪小屋を建ててくれないでしょうか」
そこで、村の頭の住居《すまい》よりも大がかりな雪小屋が出来あがりました。キーシュとお母さんはそこへ移りました。これはお母さんにとって、夫に死にわかれてこの方、はじめての満足でした。
しかし、大きな家に住めるというようなことだけが彼女のよろこびではありませんでした。彼女は、すばらしいむすこのお蔭で、いつの間にか村で一番の女として尊敬されるようになっていました。女たちは、絶えず彼女を訪ねて来ます。相談をもって来ます。自分たちの間でとか、あるいは男たちを相手にしていさかいが起ると、「そんなことをいったって、キーシュのお母さんはこういっておいでだったよ」ときめつけて、相手をへこますのでした。
五
しかし、村の人たちの一番気になることは、何といってもキーシュの不思議な狩の秘密でした。
そこで寄合の席では、ある晩、長い相談のあとで、キーシュの狩の方法を知るために、彼が狩に出てゆく時に、しのびの者に後をつけさせようということに相談がきまりました。やがて、彼が次の狩に出る時、ビムとバウンという二人の若者が、見つからないようにして彼の後をつけてゆきました。二人とも腕に覚《おぼえ》のある狩人でした。五日たってから、二人は目をまわして帰って来ました。そして、自分たちが見て来たことを話すとき、二人の舌はふるえました。
「皆《みな》の衆《しゅう》! いいつけられた通り、わしらはキーシュのあとをつけていったよ、やつ[#「やつ」に傍点]に気がつかれないようにうまくやってな。はじめの日のひる頃まで歩くとあの子は大きな雄熊《おすぐま》に出会ったのだ。それはとても大きな熊だった」
「あんな大きなのはめったにないよ」
バウンがそう相鎚《あいづち》をうって、あとを自分で話しつづけました。
「だが熊は向かって来る気はなかった。むきをかえて、氷の上を静かに向こうへいっちまおうとしたんだからな。わしらはこの様子を岸の岩かげから見ていたんだ。熊はわしらの方へやって来る、キーシュはその後へくっついて来るのだが、ちっとも怖がっている様子はない。それどころか、あの子は熊のうしろからとてつもなく大きな声をしてわめき立てるんだ。腕をぐるぐる振りまわして、やたらに騒ぎたてたもんだ。そこで、熊もとうとうおこっちまって、ぬっとあとあしで立ち上《あが》った。ところがキーシュはぐんぐん熊のそばまで歩いてゆくじゃないか」
あとをビムが引き取りました。
「構《かま》わずそばまで歩いてゆく。そこで熊がキーシュにつかみかかろうとする、するとあの子はすばやく逃げ出した。ところが逃げる時小さな丸い球《たま》を一つ、ぽとりと氷の上に落したものだ。熊は立ちどまってそいつの匂《におい》をかいで、それから、そいつをぐっと呑んじまった。キーシュは逃げ出
次へ
全2ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
吉田 甲子太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング