のみ込んで、ぐっと胸を張った。よし! 彼は下っているロープに飛びついた。まったく猿だった。するすると一男の体は瞬《またた》く間《ま》にのぼって行った。そして気絶した人が倒れている梁が支柱《しちゅう》に組み込まれている角《かど》に手がとどくと、ぐいと一度体を丸めてやんわりと梁の上に乗り移った。梁はかすかに顫《ふる》えていた。気を失っている人の体までは八メートルある。梁の幅は十二センチにも足りない。そして足の下は三十メートルもあるうつろの空間だ。
「黙ってろ! やることは分かってるんだ」
誰かが下から指図《さしず》しようとした時、岸本監督は低い声で押さえた。
一男はじっと怪我人に目をつけたまんま、じりじりと進んだ。彼は、時々、梁のゆるぎを止めるために立ちどまらなければならなかった。
いつの間にか風が強くなっていたらしい。一男の鳥打帽子《とりうちぼうし》がさっと風に捲《ま》きあげられて、いがぐり頭が剥出《むきだ》しになった時には、熱心な見物人たちは我しらずうめいた。帽子は鉄骨にぶつかりぶつかり長くかかって落ちて行った。
三メートル、五メートル、一男は気を失っている人に接近して行った。これからが危いところだ。片一方の支柱だけでやっと支《ささ》えられている梁だ、ぐんと外《はず》れたらそれまでだ。
あと一メートル――。
皆は一度に息をついた。一男はゆっくりと梁の上に手をつき、やがて梁に馬のりになって、まず自分の体を安定させた。が、それからの仕事は手早かった。彼は細い方の綱の輪《わ》を首から外すと、死んだようになっている人の体にのりかかって、機敏に縄をかけた。あっという間に、怪我人の体は梁にしっかりと結びつけられていた。
見上げている連中は、ここで何とか声がかけたかった。だが、岸本監督はすぐに様子を察《さっ》して皆を制した。
「まて、あいつが何とかいうまで黙っていろ」
しかし、一男は口もきかず、みんなの方を見ようともしなかった。彼にはまだ仕事が残っていた。第一に怪我人の様子をたしかめなければならない。それから、起重機の鎖から危くぶらさがっている物騒《ぶっそう》な梁に、巧《うま》く引綱《ひきづな》をしばりつけなければならないのだ。
一男は怪我人の背中に手をつき、戦闘帽型の帽子をぬがせた。そして覗《のぞ》き込んだ彼の眼に映ったものは意外にも職工頭の山田の顔だった。ニベもなくさっき自分を断ったあの職工頭の顔だった。なんともいえぬ厳粛《げんしゅく》なものが彼の胸を打った。命にかかわるようなひどい怪我ではありませんように――彼は祈るような気持で丁寧《ていねい》に山田の頭を調べた。血は出ていない、骨が砕けている様子もない。どうも強く打たれたために気を失っているだけのことらしい。よかった、よかった。――と、彼は右足で足場をさぐり、左足を立て、そろそろ腰を浮かしはじめた。見ている人たちは今度はぐっと息をつめた。一男は真直《まっすぐ》にたってからゆっくり向《むき》をかえた。静かに静かに、梁のゆるぎを殺しながら、もと来た方へ引きかえす。進む時よりも気を配っている様子だ。右手をのばした。大支柱のところまでもう二三歩だ。ああ、抱きついた。彼の右手はしっかりと支柱を抱きかかえたのだ。そして、一男ははじめて皆の方を見下して、手を振った。恐しいような歓呼《かんこ》があがって、すぐやんだ。一男が猶予《ゆうよ》なく次の仕事にとりかかったからである。
だが、あとの仕事は楽だった。重々しく揺れまわっている鉄梁《てつりょう》には難なく引綱が結びつけられた。そして一男は残った綱のたまを、監督を中心に群がっている人たちの真中へ手際よく投げ下《おろ》した。何十本かの手が夢中でそれをつかんだ。これで引綱が完全につけられたわけだ。鼻づらは、真《まっ》すぐ落ちても差支《さしつか》えのない場所へ静かに引きよせられた。
大きなバケット(桶《おけ》)をさげた起重機がぐうっと上って来て一男の鼻さきでとまった。彼がひょいとそれに乗りうつると、今度はバケットが梁にしばりつけられた怪我人のそばへ寄って行った。もう危険なふらふらした鎖につられた鉄材がわきへのけられていたから平気でそばに寄れるのである。一男の手は風のように早く動いて職工頭をしばってある細引《ほそびき》をほどいて、そのぐったりした体を両腕で抱いた。体の重さで、彼はバケットの中でよろめいた。起重機はすぐにバケットをぐうっと上へ持ちあげ、ゆるく右の方へ廻転しはじめた。
その時、今まで職工頭をのせていた梁は支えきれなくなって、がらがらとあっちにぶつかりこっちにぶつかり、真逆様《まっさかさま》に墜落して行った。見ている人たちの髪の毛はさか立った。
二人を乗せたバケットが自分等の前までさがって来た時、監督をはじめ板張《いたばり》
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