、或は病気も早くなおるのではあるまいかと思われ出した。
 それで、電報を打つことになったのだ。
「一男か、よく帰って来てくれた」
 そそけ髪《がみ》の頭をあげて、母は幾日か夢に描きつづけた一男の顔を、じっと眺めた。涙が一滴《ひとしずく》、やつれた頬を伝《つた》って、枕の布《きれ》を濡《ぬら》した。
「もう大丈夫、僕どこへも行きはしませんよ」
 一男は胸が一杯になって思わずそう言った。彼も鼻の奥の方が変に痛くなって来るのを感じた。
 だが、一男は突然ひょうきんな顔を妹のすみ[#「すみ」に傍点]の方へふりむけた。
「ところで船長、お帰りはまだかい」
「船長?」
 あっ気にとられている妹をからかうように一男はつづけた。
「わが石山丸の船長さ。お父《とっ》つぁんはまだかってんだよ」
「まア、兄さんたらお家と船を一しょにして――」
「船さ、船だとも、世の荒波を勇ましく乗り切る船だよ。――だが、この機関長、腹が減ってるんだがなア」
「もう、お父つぁんも帰る時分よ」
「そうか、じゃ水夫ども、甲板掃除《かんぱんそうじ》だ」
 一男は後に控えた弟や妹を振りかえった。
「あっちの部屋を綺麗にしろよ」
「ようし、甲板掃除だ」
「あたち、水夫よ」
 小さな弟や妹たちは急に元気になって、がやがや立ち上った。
 しばらくぶりでこの貧しい家にも笑が帰って来た。病人はまだ眼尻《めじり》に涙のたまったままの顔で、唇に笑《え》みを浮かべていた。
「さア、お母さんも元気を出したと――、もう大丈夫ですよ。じきなおります。僕がきっとなおして見せます」
 この一男の言葉が、母親には、医者に保証されたより頼もしく響いたのであった。
 お膳が出るまでには父親も帰って来た。玄関兼居間の四畳半に、平吉と六人の子供たちが食卓を囲んで坐ると、船の食堂よりもっと窮屈《きゅうくつ》だった。発育ざかりの弟や妹が次々に茶碗を突き出す様子は、出帆《しゅっぱん》の準備をする時よりもっと忙《せわ》しなかった。一男はその中で父から母親の病気の様子をきいた。
 命には別状はあるまいが、長くかかるだろうという医者の見たてだった。寝てばかりいるせいか、物を食べたがらないのが困るということだった。
 一男は、家へ送るほかに、小づかいを倹約して貯めておいた金を父親の前へおいた。今までは、医者のいう通りにもなかなか出来なかったらしい。
「これで出来
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