む》き加減《かげん》の一男の小さい姿は、遥かに青み渡った帝都の大空にくっきりと浮かんで、銅像かなんかのように微塵《みじん》も動きそうにない。見ている職人たちの膝頭《ひざがしら》がかえってがちがち動きはじめて来た。そしてどの心の中にも、「えらい!」と大声に怒鳴ってやりたいような気持が動きはじめた。
その時、まったく不意に――と見ている方の連中には思えたのだ――少年は頭を上げると、くるりと向《むき》を変えて、ぶらぶらと監督のいる方へ帰って来た。皆が腹の中ではらはらしていたことなんか、彼はまったく知らないのだ。あらしの海で船のマストに登って仕事をすることにくらべれば、ガッチリ組み上げられた鉄骨の梁《はり》の上を歩くことなどは、それがたとえどんなに高かろうと、何でもないことだ。
一男がもう一度、板張の上に帰って来て、「お邪魔《じゃま》しました」と挨拶してからまるで平地《へいち》を歩くような様子で急な段階を下りて行く姿を、監督は残り惜しそうな眼で見送っていた。
四
曲り曲って細々と地獄の底までつづきそうな階段を、一男は平気で、ポケットへ手を入れたまま、きょろきょろよそ見をしながらゆっくり下りて行った。だが、彼が二階分ほど階段を下りた時だった。あたりの騒がしい物音を突きぬけて、ガーンと鉄材が鉄材にぶつかる恐しい音響が強く鼓膜《こまく》をうった。頭の芯《しん》まで響いて来た。けたたましい人声が聞えたような気もした。一男は立ちどまって上の方を見上げた。
気がつくと、仕事場中の物音が一斉《いっせい》にとまっていた。さっと風が吹いて一切の物音をさらって行ってしまったあとのようだ。変に気味わるく静まりかえっている。その中から監督の叫ぶ声がハッキリ聞えて来た。
「あいつを止《と》めろ! 呼び戻せ! 今の子供を止めるんだ!」
誰かが、どたんどたんと階段を駈《か》け下《お》りて来るらしく、かすかな震動が一男の体に伝わって来た。
「おい、君!」
やや離れたところから呼ばれて振り返った一男の眼に、蒼《あお》ざめた監督の顔が鉄の枠《わく》の間から自分を熱心に見つめているのが映《うつ》った。
「戻ってくれ! 故障だ、怪我人だ」
何人かの職人たちが一度にどっと監督のまわりへ駈け寄ったが、先頭に立っていたのは一男だった。彼はあっという間に、もう、さっきまでいた七階の板張の床の上に監督
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