に色気があり、それこそ女以上の女なんだ。そういう一つの、女ではできない女形の色気で歌舞伎が成り立っていると同じように、宝塚歌劇の男役も男以上の魅力を持った男性なのである。だからこれは永久に、このままの姿で行くものではないかと思う。
元来、役者(歌舞伎)は家の芸というか、家業を継ぐものだ。素人がいくら器用でも、結局第一流の役者にはなれない。役者というものは、子供のときから舞台で、何もかも自然に覚える。中年からの役者でも、それは随分いい役者も出来るだろうけれど、歌舞伎ではそれが少ない。宝塚でもやはり雰囲気で名優をこしらえるねらいを多分にもっている。
私はスイスの時計工の話をきいて感心したことがある。スイスの時計は世界的に有名であるが、スイスの時計職人のいいものは、みな親ゆずりで、親の、そのまた親というあんばいに、二代も三代も同じ仕事をやって、古ければ古いほどいい職人が生れている。そうして、自分一代ではどんな器用のものでも、第一流の時計職人にはなれないという話である。それと同じに、日本の歌舞伎というものも、それぞれ家の芸を承け継いで、それから自然に勉強して来なければならぬ。
殊に女形に
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