おいてはそうだ。つまり、いわゆる役者は家柄とか、なれ[#「なれ」に傍点]切るところから生れて来るもので、いわゆる俳優とはちがう。役者には家代々の玄人があるが、俳優にはその方の才能だけでなれる。したがって、宝塚にどんな名優が出て来ても、そこに素人くさいところがあるのは全くやむを得ない。だが、そこにまた宝塚の一つの特色があって、一般大衆にうける何ものかがあると、私は考えている。いわば宝塚の生命はそこにあると思う。
底本:「宝塚漫筆」阪急電鉄
1980(昭和55)年2月15日発行
底本の親本:「宝塚漫筆」実業之日本社
1955(昭和30)年6月20日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:川山隆
2007年12月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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