という問題が起って来る。
私は、見合結婚した夫婦には結婚後、自然に恋愛感情が起って来る、しかもその恋愛は若い者同士の熱病みたいなものと違って、さめやしない、いくらでも長く続くものだ、というふうに解釈している。だから、今までよくあった圧制的な見合結婚はいけないが、あらゆる方面で聞きあわして、これならいい、いわゆる良縁だというのであれば、その上に生ずる愛情は、偕老同穴の契りを結ぶ人生の最後まで円満に行くものだと思っている。
ところが恋愛による結婚は、少し経つと、お互いが欠点だらけに見えて来る。その点見合結婚は、親でも兄弟でも、年の功からいっても選び方は老練で、かわいい娘なり息子なりの前途に善かれかしと念じて相手を選ぶから、この行き方の方が二人の将来のためにはよいのではないかと思っている。
第一、若い者に相手を見る目など十分に具わっているものではない。昔から「恋は盲目なり」という言葉もある。
しかし、そう言う私の結婚は恋愛結婚なのだから、それを知っている人からは、私がそういうことをいうのはおかしいじゃないかと反問されるかも知れないが、私のはほんのまぐれ当りで、まあ千人に一人あるかないかだ。だから、私の恋愛結婚が非常にうまく行って、九人の孫、三人の曽孫があって、円満に行っているからというて、そう真似できるものだと思ったらいけない。
アメリカあたりはほとんど恋愛結婚であるが、不幸な女が沢山いる。大体名前ばかりの夫婦で、籍は入ったままで離縁にはなっていないが、おそらく半分近くは別居生活であじけない暮しをしている。というのは、生活費なり扶助料なり出す力のある人は、話合いでどんどん離縁するが、アメリカというところは離婚するのに非常に金がかかる。うっかり財産の話をすると、半分はとられてしまうそうだから、公式の宴会などにはみんな何々夫人として同伴で列席しているが、内実は別居生活で、まことに落莫たる日を送っている婦人が多い。
日本では、そんなことは存外少ない。そういうことをするほど余裕がないからでもあろうが、まあ女が辛抱しているのだろう。日本の婦人は夫に威張られて年中かわいそうな境遇にいるということも一面の事実であるが、宝塚の卒業生の場合などみると、破綻になっている人は、どちらかというと、むしろ芸術的に進んでいる人で、家庭的の人はちゃんと夫人としておさまっている。そこが実にお
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