いうことになるが、私はそうは思わない。というのは、世の中に女ほど器用な者はないからだ。
うちの歌劇なんか、男をこれだけに育てることは不可能だ。料理にしても、うまいものは男でなくてはならんかもしれないが、家庭ですぐ間に合うものをつくるのは女である。今宝塚はかれこれ四、五百人の生徒でやっているが、男だったらこんなことがやれるものではない。年中喧嘩だろう。今は一人一人が光る歌い手であり踊り手であり、演技者であることが必要になって来ている。それには女の方が器用である。そして宝塚には男の世界にない、女でなければできない雰囲気があると思っている。
宝塚の生徒で感心する娘が幾人もあった。その一人に糸井しだれというのがいる。これは初め全然認められなかったが、黙々と勉強していた。それをカラスロア先生が舞台の袖で聞いていて『私が教えよう』といって教え出した。すると彼女の歌は、ぐんぐん伸びてそれから認められて来た。
戦争中北支の皇軍慰問につれて行ったとき、あの娘だけが朝は早くから起きるし、駅に着けば疲れもいとわずに降りて歌うし、だれよりも頑張る。あるとき古川ロッパ君の一座に貸したことがあったが、帰って来て、
『もうこりごりです。男の劇団はいやらしくてイヤだわ。二度とああいうところへは行きません。』
と言う。非常にまじめな潔癖な娘だった。最後は許婚者が大尉だったので、歌劇がイヤになったのじゃないけれども、当時は軍人の細君は芸人では結婚が許されなかったので、嫁にいくために宝塚を退いて、花王石鹸の女事務員になった。そうして、まだ結婚しないのに、許婚者のお母さんのところへ行っていて、そこで空襲を受けて亡くなった。
それから萬代峯子とか、先だって死んだ園井恵子なども感心した生徒だ。園井恵子は北海道から出て来て、女給になろうか、歌劇に入ろうかと思い悩んだ。当時、南部という舎監がいて、それに相談した。
『自分は親兄弟を養わなければならないが、歌劇に入ったら幾らもらえますか。』
と聞いていろいろ相談した末に、
『宝塚へ入った方がいいでしょう。』
ということだったので、こちらに決めたらしい。これも実にまじめな娘で、親兄弟を北海道から呼んで、家を持たして働いていたが、かわいそうに広島の空襲で亡くなった。
また、大江美智子一座というのを知っているでしょう。大江美智子は大阪北の新地の舞妓に出ようという
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