、先生の家から出てくる婦人がいつもみんなの評判になった。今でも覚えているが、上からお里さん、お房さん、お俊さん、お瀧さん、お光さんといって、お嬢さんが五人あった。ところが、福澤先生のお嬢さんは、みんなベッピンなんだけれども、弱々しい。その中にあってお瀧さんだけがよく肥って元気そうだった。お瀧さんはその頃十六、七であったろう。小肥りに血色のよい、発剌とした洋装の女性で、今日でも恐らく現代的美人の標準になるだろう。その妹のお光さんもまた美人で優さ形のおとなしい、しとやかなお嬢さんのように印象に残っている。お光さんは潮田傳五郎工学士の奥さんになられた方で、現在の潮田塾長のお母さんである。
 女はいくら利口であっても、女らしさを失ったらダメだ。私の奥さんは私の圧制のもとで暮して来たから、私からいえば一番気に入った女房で、奥さんからいえば、こんな怪しからん亭主はないと思っているだろう。女らしさというのは、亭主に逆らわないということだ。今の人が見たら旧式で封建的かもしれないが、私の時代にはみんながそうだったからフシギではなかった。
 女らしさということになると、武藤山治さんの奥さん(千世子夫人)は実に女らしい人であった。神戸のどこか金持のお嬢さんだが、奥さんとしておつき合いしておって誠にりっぱな人だと思う。賢こい人だけれど、武藤さんの言うことを何でも、すなおに聞いて賢こさを少しも表に現わさない。まことに見上げたものであった。
 一体に関西、中京、関東の女を比べてみると、名古屋の女は一番発展家だ。しかし堅実だ。昔から名古屋人は、お金を蓄めるのが非常に上手だが、女もそうだ。恋よりお金の方がいいのだろう。
 そこへ行くとやはり女は江戸っ子でなくてはいけない。京都の女、大阪の女は従順さが買える。しかし、何といっても東京の女はテキパキしてはっきりしていていい。

        「男の世界」と「女の世界」

 また、男と女と比べてみると、何事にも専門的に進んで行く場合には、やはり男でなければダメだけれども、アマチュアとしての程度では女の方がいいと思う。料理屋へ行っても腕のいい料理人は男であるし、仕立屋でもほんとうにうまい一流の仕立屋は男である。料理とか裁縫は女のすることだと思っておったが、最高の技能を発揮するのには男でなくてはダメなようである。だから『女だけで芸術がやって行かれますか』と
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