これは断じて太刀打ちの出来ない非常な距離のあることに心づいた。
 私のような皆目、外国語が判らない老人においてすらも、進駐軍のラジオを聴いていると音楽は勿論のこと、そのすべてのものを受入れられて愉快である。若い人達は、殊に米国語に興味を持ち、これを理解する人、理解しなくとも理解し得る素質を持ってる人達は、日本のラジオなどバカバカしくて、聞いて居られない時代が来るのも、そう遠くはあるまいと思う。必ず来るであろう。
 果してしからば、私達が放送局を改革して、放送すべきその内容のあらゆる芸術を革新向上せしめ得る前に、否な、その革新向上を企てる必要がないことになって、国民の最大多数のクラスは、米国の放送を傾聴することになるかもしれないと思うのである。
 必要は改革を産む、必要ならざるものに改革は望み得られない。我々は、鎌や、鋤や、鍬や、その農具の局部的改良進歩も必要であるかもしれないが、機械的農作が行わるるならば、それが増産の鍵であり、農民はその結果に満足しうるならば、局部的農具の改良は、この国の運命を左右し得ないごとくに、我々は米国のラジオによって、手取早く喰いつく時代が来るのではないだろうか。
 これは、若い人達に問わんとする私の注文である。長唄の勧進帳や、清元や、新内や、浪花節は、必ずしも消えてなくなるとは、誰しも思わないだろう。しかしこれを改革するとなると、B29[#「29」は縦中横]に原子爆弾に、なしうると思わざるごとくに、凡そ縁遠い日本音楽の改革なぞに、馬鹿力を入れる愚人は無いであろう。ここにおいて、民間放送局の空想はふき飛ばざるを得ないのである。

        米国映画と日本映画

 帝劇を出て、私は有楽町駅前に新装し得たマンションクラブに、一夜の宿を借りるべく暗い大路小路をぞろぞろと、人群れの裡を押されながら歩いて行った。
 マンションクラブは、我々同人の集まる、袖すり合えば多生の縁ありという、その緑の下の力持ちをする同人達の息抜きクラブである。このクラブに泊ることが出来たゆえに、久しぶりで上京したのである。

 東宝大沢社長の御厚意によって、鮮かな通訳を煩わして、東上の主たる目的たる進駐軍B三百番ミス・アビロックの用事をすませ、東宝の本社へ同行した。折柄社長室には、東宝重役や幹部諸君が集まっておられたので、日本ラジオ悲観論を披露するとともにこの問題は直
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