ふ声の下より、十歳|許《ばかり》の小児、「伯父さん私に頂戴」と乞ふ。「なァに食べられないことは無いよ。肉《み》が少し柔いが……。」と、之を外し与ふれば、小児は裾に包み、一走《ひたはし》りに走り去れり。
 此の男、又一本釣り挙げしが、「型が気に喰はぬ」とて、亦《また》、傍《かたわら》に見物せる男に与へたり。普通の釣師は、三日四日の辛抱にて、「跳ッ返り」一本挙げてさへ、尺璧《せきへき》の喜びにて、幾たびか魚籃《びく》の内を覗き愛賞《あいしょう》措《お》かざるに、尺余の鯉を、吝気《おしげ》もなく与へて、だぼ沙魚《はぜ》一|疋《ぴき》程にも思はざるは、西行法師の洒脱にも似たる贅沢無慾の釣師かなと感じき。聴けば、一人にて、七八本を貰ひたる者も少からずといふ。

 鯉の当り年か

 歩を移し、対ふ岸に立ちて観ける内、目の前なる老人、其の隣りなる釣り手に向ひ「随分の釣手《つりて》だね。釣堀も、此位に繁昌すれば大|中《あた》りだが」と言ひけるに、「此れだけの大|中《あた》りを占められたら、開業二三日で破産しませうよ。其処《そこ》な小僧奴なんざ、朝から十六七本挙げやがッたから、慥《たし》かに三四円の働きは為《し》てますわ」とて、指させる小僧を見れば、膝きりのシャツ一枚着たる、十二三歳の少年なりし。想ふに、此の界隈の家々、此処二三日の総菜《そうざい》ものは鯉づくめの料理なりしなるべし。彼《か》のお鯉御前は、大臣のお目に留り、氏《うじ》無《な》くして玉の馬車に乗り、此の公園の鯉は、罪無くして弥次馬の錆鈎《さびはり》に懸り、貧民窟のチャブ台を賑はす。真に今歳は、鯉の当り年なるかななど、詰《つま》らぬ空想を馳せて見物す。

 放生池の小亀

 たとひ自らは、竿を執らざるにせよ、快き気もせざれば、間もなく此処を去りしが、観音堂手前に到りて、亦《また》一の狼籍《ろうぜき》たる様を目撃せり。即ち、淡島《あわしま》さま前なる小池は、田圃に於ける掻堀《かいぼり》同様、泥まみれの老若入り乱れてこね廻し居けり。されば、常に、水の面《めん》、石の上に、群を成して遊べる放生《ほうじょう》の石亀《いしかめ》は、絶えて其の影だに無く、今争ひ捜せる人々も、目的は石亀に在りしや明《あきらか》なりし。中には、「捕ても構《かめ》えねいだが、捕りたくも亀は居ねいのだ」など高笑ひの声も聴ゆ。
 三時過ぎ、家《うち》に帰りける
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