竿にて、しかも玉網《たま》も無く、之を挙《あ》げんことは易きに非ず。先方は案外かけ出しの釣師にて、それに気づかざりしか、或は黒人《くろと》なりしかば、却て不釣合の獲物に驚歎せしか、何《いず》れにしても、物に怖ぢざる盲蛇、危かりしことかなと思ひき。
『これより宅《うち》に還るまで、揚々之を見せびらかして、提げ歩きしが、予《よ》の釣を始めて以来、凡そ此時ほど、大得意のことなく、今之を想ふも全身肉躍り血湧く思ひあり。
『この時よりして、予は出遊毎に、獲物を買ひて帰り、家人を驚かすことゝはなれり。秋の沙魚《はぜ》釣に、沙魚船を呼ぶはまだしも、突船《つきぶね》けた船の、鰈《かれい》、鯒《こち》、蟹《かに》も択ぶ処なく、鯉釣に出でゝ鰻《うなぎ》を買ひ、小鱸《せいご》釣に手長蝦《てながえび》を買ひて帰るをも、敢てしたりし。されども、小鮒釣の帰りに、鯉を提げ来りしをも、怪まざりし家《うち》の者共なれば、真に釣り得し物とのみ信じて露疑はず、「近来、めツきり上手になり候」とて喜び、予も愈図に乗りて、気焔を大ならしめき。
『一昨年《おととし》の夏、小鱸《せいご》釣に出でゝ、全く溢《あぶ》れ、例の如く、大鯰[#「大鯰」に傍点]二つ買ひて帰りしが、山妻《さんさい》之を料理するに及び、其口中より、水蛭《ひる》の付きし「ひよつとこ鈎」を発見せり。前夜近処より、糸女《いとめ》餌を取らせ、又小鱸鈎に※[#「虫+糸」、175−上−10]《す》を巻かせなどしたりしかば、常に無頓着なりしに似ず、今|斯《かか》る物の出でしを怪み、之を予に示して、「水蛭《ひる》にて釣らせらるゝにや」と詰《なじ》れり。
『こは、一番しくじつたりとは思へども、「否々、慥《たしか》に糸女《いとめ》にて釣りしなり、今日は水濁り過たれば、小鱸は少しも懸らず、鯰のみ懸れるなり。其の如きものを呑み居しは、想ふに、その鯰は、一旦置縄の鈎を頓服し、更に、吐《と》剤か、養生ぐひの心にて、予の鈎を呑みしものたるべし」と胡麻かせしに、「斯《か》く衛生に注意する鯰《なまず》は、水中の医者にや、髭もあれば」と言ひたりし。
『同年の秋、沙魚釣より還りて、三束余の獲物を出し、その釣れ盛りし時の、頻りに忙がしかりしことを、言ひ誇りたりしが、翌朝に至り、山妻突然言ひけるは、「昨日の沙魚は、一束にて五十銭もすべきや」となり。実際予は、前日、沖なる沙魚船より、その価にて買ひ来れるなれば、「問屋直《とひやね》にてその位なるべし、三束釣れば、先づ日当に当らん」と言ひしに、予の顔を見つめて、くつ/\笑ひ出す。「何を笑ふ」と問へば、「おとぼけは御無用なり、悉く知りて候」といふにぞ、「少しもとぼけなどせじ、何を知り居て」と問へば、「此の節は、旦那の出らるゝ前に、密《ひそ》かに蟇口《がまぐち》の内を診察いたしおき候。買ひし物を、釣りたりと粧《よそ》はるゝは上手なれども、蟇口の下痢にお気つかず、私の置鈎に見事引懸り候。私の釣技《うで》は、旦那よりもえらく候はずや」と数回の試験を証とし、年来の秘策を訐《あば》かれたりし。その時ばかりは、穴にも入りたき心地し、予の釣を始めて以来、これ程きまり悪《あ》しかりしことなし。斯《かか》る重大のことを惹き起せしも、遠因は、「ひよつとこ鈎」に在りと想へば早く歯科医に見せざりし、鯰の口中こそ重ね重ねの恨みなれ。
『これよりは、必ず、蟇口検定を受けて後ち、出遊することに定められたれば、釣は俄かに下手になり、大手振りて、見せびらかす機会も無くて』と、呵々《からから》と大笑す。
予も亦、銃猟者の撃ち来れる鴨に、黐《もち》の着き居し実例など語りて之に和し、脚の疲れを忘れて押上《おしあげ》通りを過ぎ、業平にて相分れしが、別るゝに臨みて、老人、『その内に是非お遊びに』と言ひかけしが、更に改めて、『併し御承知の通りなれば、雨の日にて無くば』と断りき。無邪気なる老人の面影、今尚目に在り、其の後《ご》逢《あ》はざれども、必ず健全《けんざい》ならん。
底本:「集成 日本の釣り文学 第二巻 夢に釣る」作品社
1995(平成7)年8月10日第1刷発行
底本の親本:「釣遊秘術 釣師気質」博文館
1906(明治39)年12月発行
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2006年10月24日作成
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