中々さうも参りません。
細『これは、昨日何時も川魚を持ツて来ます爺やから取りましたのでございますが、さう申しては不躾ですけれども、十|仙《せん》に二枚でございます。家にじツとしてゝ取ります方が、何《ど》の位お廉《やす》いか知れませんです。』
と、鮒の出処の説明に取りかゝる。
主人は、口を特《こと》に結びて、睨《ね》みつけ居たりしが、今、江戸川にて自ら釣りしといひし鮒を、魚屋より取りしと披露されては、堪へきれず、其の説の終《おわ》るを待たず、怒気を含みて声荒々しく、
『おい/\、此の鮒は、僕の釣ツたのだらう。』
細『左様《そう》じやございませんよ。昨日、千住の爺やが持ツて参ツたのでございます。』
主『僕の釣ツたな、どうして。』
細『何時まで有るもんですか。半分は、焼きます時に金網の眼からぬけて、焦げて仕舞ひましたし、半分は、昨日のお昼に、召し上りましたもの。』
主『さうか。これは千住のか。道理で骨が硬くて、肉《み》に旨味が少いと思ツた。さきから、さう言へば好《い》いに…………。』
きまり悪さの余り、旦那といふ人格を振り廻して、たゞ当り散らす。客は気の毒|此《こ》の上なく、
『千住でも、頗る結構です。』など、
言ひ紛らせども、細君は、其の仔細を知る由《よし》なく、唯もみ手して、もぢ/″\するのみなり。一座甚だ白けたりければ、細君は冷めたる銚子を引きてさがる。主人、更に杯を勧めて、
『此様《こん》な不美《まずい》のを買ツたりして、気の利かないツて無いです。』と罪を細君に嫁《か》す。客は、
『大分結構ですよ。』と、なだめしが、此の場合、転換法を行ふに如かずと思量してか、
『随分お好きの方が多いですが、其様《そん》なに面白いものでせうか。』と
木に竹を接《つ》ぐ問を起す。
『骨牌《かるた》、茶屋狂ひ、碁将棋よりは面白いでせう。其れ等の道楽は、飽きて廃《よ》すといふこともあるですが、釣には、それが無いのですもの。』
至つて真面目に答へたりしが、酔も次第に廻り来りしかば、忽ち買入鮒以前の景気に直り、息荒く調子も高く、
主『深さは、幾尋とも知れず、広さは海まで続いてる水の世界に、電火|飛箭《ひせん》の運動を為《し》てる魚でせう。其れを、此処に居るわいと睨んだら、必ず釣り出すのですから、面白い[#「面白い」に傍点]筈です。
主『物は試しといふから、騙されたと思ツて、君もたツた一度往ツて見給へ。彼奴《きゃつ》を引懸けて、ぶるぶるといふ竿の脈が、掌に響いた時の楽みは、夢にまで見るです。併し、其れが病みつきと為ツて、後で恨まれては困るが…………。』
客『幾らか馴れないでは、だめでせう。』
主『なアに釣れるですとも。鮒ほど餌つきの良い魚[#「餌つきの良い魚」に傍点]は無いですから、誰が釣ツても上手下手無く、大抵の釣客《つりし》は、鮒か沙魚《はぜ》で、手ほどきをやるです。鯉《こい》は、「三日に一本」と、相場の極ツてる通り、溢《あぶ》れることも多いし、鱚《きす》、小鱸《せいご》、黒鯛《かいず》、小鰡《いな》、何れも、餌つきの期間が短いとか、合せが六ヶ《むつか》しいとか、船で無ければやれないとか、多少おツくうの特点有るですが、鮒つりばかりは、それが無いです。長竿、短竿、引張釣、浮釣、船に陸《おか》に何れでもやれるし、又其の釣れる期間が永いですから、釣るとして不可なる[#「釣るとして不可なる」に傍点]点なしで、釣魚界第一の忠勤ものです。
主『殊に、其の餌つき方[#「餌つき方」に傍点]が、初め数秒間は、緩く引いて、それから、徐《しず》かにすうツと餌を引いてく。其の美妙さは、全《まる》で詩趣です。
主『沙魚も、餌つきの方では、卑下《ひけ》を取らず、沢庵漬でも南京玉でも、乱暴に食い付く方ですが。其殺風景は、比べにならんです。仮令《たとえ》ば、沙魚の餌付[#「沙魚の餌付」に傍点]は、でも紳士の立食会に、眼を白黒して急《せ》き合ひ、豚の骨《あら》を舐《しゃぶ》る如く、鮒は[#「鮒は」に傍点]妙齢のお嬢さんが、床の間つきのお座敷に座り、口を細めて甘気の物を召し上る如く、其の段格は全で違ツてるです。
主『合せ方[#「合せ方」に傍点](引懸けるを合せといふ)といふて、外に六ヶしいことなく、第一段で合せて、次段で挙げる丈けですが…………。』
と言ひかけしが、起《た》ちて、椽側の上に釣れる竿架棚《さおだな》の上なる袋より、六尺程の竿一本を抽《ぬ》き取り来りて、之を振り廻しながら、
主『竿は長くても短くても、理窟は同しですが、斯《か》う構へて中《あた》りを待ツてるでせう。やがて、竿頭《さおさき》の微動で、来たなと思ツても、食ひ込むまで、構はず置くです。鮒ですから…………。幾らか餌を引いてくに及んで始めて合せる[#「合せる」に傍点]です。合せるとは引くことで
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