節の鮒釣[#「此の節の鮒釣」に傍点]には、河の深みで大物を攻めるのと、浅みに小鮒を攻めるのと、又用水堀等の深みで、寄りを攻めるのなど、いろ/\有るですが、必ず外れツこ無しを望むには、型の小さいを我慢して、この第二法をやるです。君が釣ツても、一束は楽に挙り、よく/\の大風でもなければ、溢れる気使ひは決して無いです。朝少し早く出かけて、茅舎《ほうしゃ》林園の、尚|紫色《むらさき》、濛気《もや》に包まれてる、清い世界を見ながら、田圃道を歩く心地の好いこと、それだけでも、獲物は已《すで》に十分なのです。それから、清江に対して、一意専心、竿頭《さおさき》を望んでる間といふものは、実に無我無心、六根清浄の仏様か神様です。人間以上の動物です。たツた一度試して見給へ。二度目からは、却《かえ》ツて、君が勧めて出るやうにならうから…………。』
と、元来の下戸の得には、僅一二杯の酒にて、陶然酔境に入り、神気亢進、猩々《しょうじょう》顔に、塩鰯《しおいわし》の如き眼して、釣談泉の如く、何時果つべしとも測られず。客は、最初より、其の話を碌々《ろくろく》耳にも入れず、返辞一点張りにて応戦し、隙も有らば逃げ出さんと、其の機を待てども、封鎖厳重にして、意の如くならず、時々の欠伸を咳に紛らし、足をもぢ/″\して、出来得る限り忍耐したりしも、遂に耐《こら》へられずして、座蒲団を傍に除《の》け、
『車を待たせて置きましたから…………。』
と辞して起たんとす。主人は、少しも頓着せず、
 主『僕も、車を待たせて、釣ツたことあるです。リウマチを病んでた時、中川の鮒が気になツて堪らず、といふて往復に難義なので、婚礼の見参と、国元の親爺の停車場《すていしょん》送りの外は、絶えて頼んだことの無い宿車を頼んで、出かけたです、土手下に車を置かせ僕は川べりに屈んで竿をおろしたでせう。
 主『初めの内は、車夫が脇に付いてゝ、「旦那まだ釣れませんか、まだ釣れませんか」と、機嫌《きげん》を取りながら、餌刺の役を勤めてゝ呉れたが、二三時間の後には、堤根腹《ねはら》に昼寝して仕舞ひ、僕は結句気儘に釣ツてたです。
 主『生憎《あいにく》大風が出て来て、※[#「魚+與」、第4水準2−93−90]《たなご》位のを三つ挙げた丈で、小一日暮らし、さて夕刻|還《かえ》らうとすると、車は風に吹き飛ばされたと見え、脇の泥堀《どぶ》の中へ陥《のめ》
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