ゝに達したるなり。魚の多少と大小は、また何ぞ問ふを須《もち》ひん。
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釣遊は、養神摂生の為めのみ。養神摂生[#「養神摂生」に傍点]に害あるは釣遊の道に非ず。
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不快の言を聴き、不快の物を見れば、神を害し、険を冒し危を踏めば、生を害す。異臭ある地に釣り、汚池《おち》に釣り、禁池に釣り、鈎《はり》さきを争ひて釣り、天候を知らずして海上に釣り、秋の夜露に打たれて船に釣り、夏の午日に射られて岡に釣り、早緒《はやお》朽ちたる櫓を執り、釘《くぎ》弛《ゆる》みたる老船に乗りて釣る如きは、総て釣遊の道に非ず。
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金銭にけちなる釣遊[#「けちなる釣遊」に傍点]は、却て不廉《ふれん》なる釣遊なり。
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僅々一二銭の餌を買へば、終日岡釣して楽むべく、毎日出遊するも、百回一二円の出費に過ぎず、これ程|至廉《しれん》の遊楽天下に無しと言ふ者あり。されども、これ愚人の計算にて、家業を荒廃し、堕落を勧《すす》むる魔言と謂ふべし。吾輩《ごはい》の惜む所は、餌代船賃に非ずして、職業を忘るゝ損害の大なるにあり。たとひ、一回の
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