も許すべからざる罪になつてゐる。之が民主主義を標榜してゐる国に最も著しく現れてゐるといふことは甚だ意味深いことでなければならない。恐るべき多数者の力。
 ウエンデル・フイリツプスは五十年以前に云つた。『絶対民主平等のわが国では輿論は唯だに万能《オムニポーテント》である許りでなく、遍在《オムニプレゼント》でもある。輿論の暴戻《ぼうれい》から逃るべき道もなく隠るべき場所もない。仮令《たとえ》諸君がかの古の希臘《ギリシア》の提燈《ランタン》を携へて探しまはつても、世間の評判によつて自己の社会上の位置や仕事の上に何等の利害得失を蒙らない人を見付出すことは不可能であらう。吾人は自己の確信を臆することなく吐露する個人の集団ではなく、他の国民に比して極めて臆病なる群衆である。吾人は相互に恐れ合つてゐるのである。』これによつて見ると現代はかのウエンデル・フイリツプスを障げた当時の状態から幾許も進んではゐないのである。
 今日もかの当時に於ける輿論は遍在せる暴君である。現代の多数者は臆病者の群集を代表し、自己の心霊の貧弱を遺憾なく映ずる人間を喜んで歓迎してゐる。それはかのルウズベルトの如き人間が前例になき程の位置を得てゐるのでも解かる。彼は群衆心理の最悪なる要素を体現してゐる。彼は多数者が理想と純潔とを無視してゐるといふことをよく知りぬいてゐる政治家である。群衆の欲求するものは見世物である。それが犬芝居であらうが、懸賞決闘であらうが、黒奴の私刑《リンチ》であらうが、結婚披露であらうがかまはない。精神顛倒が恐しければ恐しい程、群衆の歓喜と称讚とが激烈になるのである。かくして貧弱なる理想と俗悪なる精神とを有するルウズヴエルトの如き人間が時代の寵児として名誉を博するに至るのである。
 然るに一方にあつて、かくの如き政治上の小人の上に高く位する教養あり真に才能ある人々が懦夫《だふ》として嘲弄せられてゐる。現代を個人主義全盛の時代であると主張するが如きは極めて滑稽である。現代は歴史上に繰返される全ての現象中の最も有害なるものである。宗教と云はず、政治経済上の自由と云はず、人類の進歩に対する全ての努力は悉く少数者より発生するのである。而して今日に於てもなほ少数者はたへず誤解せられ、迫害せられ投獄せられ、或は殺戮せられてゐるではないか。
 ナザレの叛逆者によつて説かれたる同胞主義はそれが少数者の光
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