庭を保証するのは単に夫の恩恵によつてのみだと云ふことだ。そこで彼女は年中夫の家庭で動きまわつてゐる。その中に彼女の人生並に人事に対する見解が彼女の周囲の如く平凡、狭隘、蕪雑になる、よし彼女がグヅでくだらなく、口やかましく、おしやべりで堪へがたく遂に男を家庭から運び出すやうになつても少しも不思議はない。彼女は行きたくも行くことが出来ない。行くべき場所がないからだ。のみならず、大抵の婦人は結婚すると間もなく凡《あら》ゆる能力を全く失ひ、外界に対して絶対に無能なものと化する。彼女の外貌は不注意になり、動作は醜くなり、決断が従属的になり、判断が臆病になり、大抵の男が憎悪侮蔑するやうな荷厄介なものになる。
 併し若し結婚がないとしたら、子供はどうして保護されるだらうか? 結局これが尤も重要な理由なのではあるまいか? 何と云ふ虚偽、偽善な言ひぐさだらう! 結婚が子供を保護しても貧乏で家のない子供達が数千人ゐるではないか。結婚が子供を保護しても孤児院と感化院とは充ち溢れてゐるではないか、そして小児虐待防止会は常に『愛する』両親から小さい犠牲者を救ひ出し、かれ等の両親より更に親切な小児保護会の手許に彼等を置こうと務めつつあるではないか。噫《ああ》、なんと云ふ侮辱だらう。
 結婚は『馬を水辺に連れて行く』力を持つてゐるかも知れない、然し馬に水を飲ませる力は持つてはゐない。法律は父を捕縛して彼に囚人の衣服を着せる、だがそれで子供の飢餓をとどめる事が出来たか? 若し父親が仕事を持たず、或は偽名した場合に、結婚はどうするか? 結婚は法律に訴へてその男を『Justice』(裁判)に連れて来る。彼を戸に安全に閉ぢ込める。然し彼の労働は子供の為めにはならず、国家の為めになる。子供はただ父の衣物のかすかな記憶を受取るばかりである。
 所謂婦人の保護――そこに結婚の呪咀が横たわるのだ。結婚は真に彼女を保護しないばかりでなく、保護と云ふ思想そのものが既に嫌忌すべきである。かくの如きは実に人生を蹂躙侮辱し、人間の威厳を貶《おと》すものである。この寄生的制度は永久に没却すべきである。
 それは資本制度と称する根本組織と相似たものである。かくの如きは人間天賦の権を剥奪し、その生長を防止し、肉体を毒し、人間を無智、貧窮、従属的ならしめ、而して後人間自尊の最後の痕跡に栄ゆる慈善を形成する。
 結婚制度は婦人を寄
前へ 次へ
全9ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ゴールドマン エマ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング