C養及び克己が成長の最上条件である。この見解によれば神聖と愛の権利のために説かれたる言辞は悉く『自然の崇拝』である。而して受難そのものがより[#「より」に傍点]高き修養に至るの道である。而しそれは自己の慴伏《しょうふく》によつて到達せらるゝのである。最善の愛は信実と忍耐とである。それのみが独りよく深遠なる精神力を釈放し、人間を神聖の域に結び付ける。結婚に於ける信実は人をして肉慾的の本能と情熱より自由にせしめ、高き意味に於ける人格発展の可能を彼に与へる。然るにかの『自由恋愛』はこれ等の精神状態を発達させない、而して結婚以外の母は生れたる子供に安固たる家庭生活を送らしめず、子供に対して真摯なる責任の感を喚起せざるが故に排斥せられなければならない。かくの如き子供は又情熱によつてのみ生れ出でたるが故に母の愛は責任に面するの時消え去るのである。
 かくの如き禁慾的人生観より云へば私の述べた如くこの見解は極めて自然である。併しながら人生の目的が人生そのものである人は其精神的要求と同じく肉体的要求に対して同一なる尊敬を感ずるのである。斯くの如き人は又不道徳なる肉情が存するが如く不道徳なる禁慾主義が存するといふことを知つてゐる。何故不道徳であるかと云へばそれは人道と個人に対する向上でないからである。彼は又二個の未婚者が子供に生命を与へる時、自然はその子供に立派なる天賦の力を授けて『情熱』に報ゆるものであるといふことを知つてゐる。自然はこの『情熱』なるものを通じて神秘なる目的を追及してゐる様に見える。それは義務の観念といふが如きものゝ到底よく行ふところではないのである。
 故に最も重要なることは吾人が精細に自然を研究し尽した後に吾人の権利の観念を自然と調和せしむるが如く計ることがある、単に道徳的観念にのみ囚はれ、明らかに自然に反対して無条件に自然を圧服せんとするは不必要である、より[#「より」に傍点]高き恋愛の修養は克己を恋愛と親たる責任[#「恋愛と親たる責任」に傍点]に結び付くることによつてのみ達せられるであらう。恋愛と親たる責任が両性関係の唯一の条件となさるゝの時[#「恋愛と親たる責任が両性関係の唯一の条件となさるゝの時」に傍点]相対関係はその結果として生ずるであらう。
 この理由により、全ての青年は恋愛に於て更らに偉なる要求をなし、父たる権利に対して更らに高き思を抱く様に教育せ
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