トの教育より遙かに重大なる父母たる本分を剥奪せられたるが如く感ずるであらう。即ちそれは母に愛せらるゝ男子の人格と、父に愛せらるゝ女子の人格とに共通して流るゝ生命である。而して両親が相互に成長するに従がつてその重要なる度はます/\増加せられるのである。
恋愛によつて得たる幸福は人生の最深の要求の一つを満足せしめ、直接にその最善の力に衝動を与へて他の力をも増加せしむるが故に恋愛による個人の幸福は社会的価値を建設し個人の恋愛の標準が高めらるゝに従ひ社会全般は愈《い》よ向上せしめらるゝであらうと云ふ結論に吾人は達するのである。
併しながら全ての人類は悉くみな恋愛の賜物を賦与されてはゐない。それを所有せる人にてすらなほ他の趣味嗜好を有してゐる。故に男女何れの場合に於ても幸福の観念は恋愛の幸福と全然同一なりと云ふことは出来ない。又、大体に於てそれは個人が自から支配し能はざる境遇に属する種々なる力の要求若しくは適用の満足を意味することも出来ない。吾人の力のあらゆる発展を意味せざる幸福は極めてつまらなく見ゆるであらう。幸福の意義は全て偉大なる能力の完成であり更らに愈よ大いなる完成に対する要求を満足せしめんが為めの不断の期待である。幸福とは畢竟愛し、働き、考へ、苦しみ、楽しんで次第に向上するをいふのである。この向上は時に『幸福』によつて達せられ、時に『不幸』なる境遇を通じて達せられる。斯くして最も深き意味に於ける幸福は人生に横はる諸《もろもろ》の運命を通じて人生が次第に向上発展せらるゝことである。この意味に於て幸福は人生そのものゝ内に生の目的を発見する人の唯一の義務である。若し幸福の感情に変化せられざる唯一の義務があるとすれば個人の生活と団体の生活とは猶ほ充分なる意義を有せざるものと云はるべきである。
全ての人事関係中幸福は其目的であると同時にその手段でもある。併し他人の幸福を目的とする慈善事業に於ては少くともさうではない。慈善事業とか社会的事業とか云ふものは単に他人の幸福のみを目的としてなされるなら基督教的慈善の失敗した様に失敗するであらう。人は幸福に対する自己の要求並びにそれを満足せしむる様々の条件によつてのみ始めて他人の要求とそれを満足せしむる条件の如何なるものなるかを知り得るのである。
義務としての幸福は恋愛との関係上健康と云ふ他の幸福の大なる価値と比較する事によつて
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