の根本思想は、個人が恋愛関係によつて最高の幸福を享楽しなければならない[#「個人が恋愛関係によつて最高の幸福を享楽しなければならない」に傍点]といふのではなく、個人の幸福が即がて種族の改善に資するが如く社会が矯正せられなければならない[#「個人の幸福が即がて種族の改善に資するが如く社会が矯正せられなければならない」に傍点]といふのであつた。
『恋愛と結婚』の中に私は一夫一婦――即ち一生を通じての恋愛関係を以て両性間に存する唯一の道徳的関係であると主張する人々はかくの如き道徳律の結果として生ずる多大なる生活力の浪費を無視するものであることを指摘して置いた。若しその生活力が利用せられるなら立派なる子孫を生じ人種の改善に貢献する処があつたかも計られないのである。然るに一方社会の悪分子は何等の道徳律にも束縛せられずして彼等の同族を蕃殖《はんしょく》せしめてゐるのである。かくの如く調子高き理想主義は中世紀の修道院に於けるがごとき同一の結果を生ずるであらう。而して現在の如き社会状態にあつてはかくの如き道徳律は仮令進化の趨勢が疑ひもなく最終の目標として真の恋愛的結合に向ふにもせよ、或はまた結婚如何に関せず両性の結合に於て霊肉の一致が真に貞潔の条件として確認せらるゝとも人種の改善を妨ぐることは免ぬかれないであらう。
 種族の為めと云ふ見解から見ると法律上及び宗教上の道徳の形式は今日に於ける最も進歩発達せる性的意識並びにその道徳に拮抗して充分にその論拠を維持して行くことは出来ないのである。道徳なるものは科学が不断の努力を以て既に発見し、又発見せんとしつゝある種族改善のために都合よき条件を支配せる律法中に新しき標準を求むると同時にそれ自からの中にも求めてゐるのである。此等の律法と此の意識は私の前の著述にも指摘した如く時として相争ふかも知れない。仮令ば性的理想主義者は恋愛を以て父母たることの唯一の条件なりと主張する。人種改良論者は多くの立派なる子供がその子供の父を少しも愛せざりし母より出生せりとの事実を主張する。性的理想主義者は恋愛の結合を主張し、改良論者は貞淑を以て不生産に対する多大なる責任を有すと云ひ、種族に対する浪費なりと叫ぶ。理想主義者は愛情の最も濃やかなる両親を以て最上なりと弁護する。改良論者は人道の為め最も必要なる事は男女が恋愛結婚の如何に拘らず、父母たることの資格に於て最も
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