狽ヘ既婚者より未婚者の場合に於て遙かに夥多《かた》であるといふことを例証せんとしてゐる。又小児の死亡数と罪悪も私生児の場合に於て遙かに多いと主張してゐる。又一方に於ては恋愛を以て離婚と自殺と罪悪の原因であると攻撃してゐる。併しながら彼等は一方に於て、社会の状態と両親の偏見とが恋愛結婚を妨圧せるがため、独身の生涯を送り、或は発狂し自殺し、罪悪を犯し、私生児の親となつた統計をば等閑視してゐる。かかる場合に於て恋人の一人は必ず富のためか或は『義務』の為め、又は『他人の幸福』のために犠牲となり、或は圧制せられ恋愛に対する叛逆者となつたに相違ないのである。
併し実際現今ではかの昔両親がその娘に対し『お前は自分の幸福と云ふことを考へてはいけない。先づ他人の幸福といふことを考へなくてはならぬ』といふ思想を諄々と教へ込んだ時代よりもこう云ふ犠牲者に出遇ふことは少くなつたやうである。他人の幸福といふのは畢竟《ひっきょう》自分の両親が承認した男を幸福にして自分の愛した男を不幸にしてやれといふ意に他ならないのである。これではその両親も両親の撰択した男も自分の幸福のかはりに他人の幸福といふことを考へなければならないその義務を忘却してゐるのではないか。
彼等はそう云ふことには一向無頓着でゐたのである。併し今でも多くの人々は青年男女の恋愛中に発見する幸福が、社会の幸福の根本的要素であるといふ真理に対して実に朦朧たる観念ほか有してはゐない様である。青年男女が第一に守るべき義務は彼等の恋愛に対する義務である。彼等にして若し第一に恋愛の義務を首尾よく守る事が出来たなら自余一切の義務も従がつて容易に守り得る事が出来るであらう。恋愛とは決して、義務と矛盾するものではない。否、結婚に際して守るべき最大なる第一義の義務[#「最大なる第一義の義務」に傍点]である。
特殊の場合に於ては義務の力と勝利とは恋愛の幸不幸を問はず確かに恋愛を滅亡せしめた、或は又、反対に恋愛が義務の滅亡を促がしたことも真である。併しながら今日大多数の人々が恋愛の途上に横はる幾多の障害を黙忍し或は秘かに恋愛に対して挑戦を試み日々夜々その精力を乱費しなければならないがため全ての国民の精力が如何程浪費せられてゐるかといふ事を静かに考ふる人がどれだけあるだらう。又かの未成の事業、当初より薄弱にせられたる凡ての精力が途中にてその発達を阻害せ
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