を圧し出して弁を唸らせる。所が、その一部が管中から吹き出てしまうので、それが竹質に吸収されて、膨脹は一端止み酒精は下降する。つまり、それが何遍となく繰返されるので、吹手が息を入れるような観が起る。そして、やがてそのうちに、酒精は跡方もなく消え失せてしまったのだ。だが支倉君、斯うして犯行の全部が判ってしまうと、犯人がヒステリー患者の奇怪な生理を遺憾なく利用したと云うばかりでなく、たった一つの小窓に、千人の神経が罩められていた事が判るだろう」
 検事は息を詰めて最後の問を発した。
「そうすると犯人は――一体犯人は誰なんだ?」
「それが、寂蓮尼なんだよ」と法水は沈んだ声で答えて、熱した頬を冷やすように窓際へ寄せた。
「たしか、あの日に寂蓮尼が、大吉義神呪経の中にある、孔雀吸血の伝説と云う言葉を云ったっけね。所が、調べてみると、その経文の何処にもそんな章句はない。けれども、僕は経蔵の索引カードの中から、異様な暗合を発見したのだ。と云うのは、いつぞやの『ウエビ地方の野猟』と、大吉義神呪経の図書番号とが、入れ違いになっている事なので、意外にも片方になかった記述が、セントジョンの著述にある挿話から発見されたのだよ。それは、ケラット土人の伝説なんだ。孔雀が年老いて来ると、舌に牙のような角質が生えるそうだが、それを他の生物の皮膚に突き刺し、血液の中に浸して置くと、その角質が忽ち、ポロリと欠け落ちてしまう――と云うのだがね。すると支倉君、推摩居士に加えた殺人方法が、そこから暗示されているとしか思われまい。つまり、寂蓮が示威的な嘘を作ったものには、自分だけしか知らない、入れ違っている図書番号の聯想が現われたからなんだ。然し、動機は一言にして云い尽せるよ。奇蹟の翹望なんだ。ユダ(ユダの叛逆は耶蘇に再生の奇蹟を見んがためと云われる)、グセフワ(奇蹟を見んがために、ラスプチンを刺そうとした露西亜婦人)、そして寂蓮さ。けれども、あれほど偉い女が、水分を失った屍体が木乃伊《ミイラ》化する事実を、知らぬ筈はないと思うがね。それさえも忘れさせて、あの凝視を続けている所を見ても、神秘思想と云うものの怖しさが……、どんな博学な人間でさえも、気狂い染みた蒼古観念の、ドン底に突き落してしまう事が判るだろう。ねえ支倉君、もう永い事はあるまいから、あの女には○○○○○待ってやる方がいいよ。それが、この陰惨な事件にある、ただ一つの希望なんだからね」



底本:「小栗虫太郎全作品4 二十世紀鉄仮面」桃源社
   1979(昭和54)年3月15日発行
底本の親本:「二十世紀鉄仮面」桃源社
   1971(昭和46)年11月15日初版
初出:「改造」改造社
   1934(昭和9)年1月号
入力:ロクス・ソルス
校正:Juki
2006年7月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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