い声を立てて遮った。
「では、探して見給え――決してありっこないからね。梵字の形が、左右符合しているのを見ただけでも、とうに僕は、人間の手で使うものでない――と云う定義を、この事件の兇器に下しているんだ。それよりも支倉君、孔雀の趾跡が一体どうして附けられたか――じゃないか。たとえば、推摩居士を歩かせたにした所で、たかが膝蓋骨の、三角形ぐらい印されるだけだからね」
「すると、何か君は?」
「うん、これは非常に奇抜な想像なんだが、さしずめ僕は、推摩居士に逆立ちをさせたいんだよ。それも掌を全部下ろさずに、指の根元で全身を支えるんだ」
「冗談じゃない」検事は呆れたような顔になって叫んだ。
「所が支倉君」と法水は真剣に顔を引き緊め、一歩一歩階段を下りながら云い始めた。「大体、其処以外には、何処ぞと云って、推摩居士の肉体に理論上ああ云う作用を、現わす部分がないのだからね。と云うのは、第二関節以下しかない、推摩居士の右の中指と左の無名指に、所謂|光指《グランツフィンガー》が現われているからなんだ。その根元に弾片をうけて神経幹が傷付いているので、君も先刻見た通りに、指尖が細く尖って青白く光っているんだ。然し、戦地病院などでは大神経幹と違い、決して包鞘手術などをやる気遣いはないのだけれども、傷口さえ治れば、日常の動作には事欠かないようになってしまうのだ。つまりそこに、レチェ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ンが神経代償機能と名付けた現象が起るからなんだよ。繊維だけが微かに触れ合っている周囲の神経が、栄養や振動を伝えてくれて、その瀕死の代償をしてくれるからなんだ。所が、これは、外傷性ヒステリー患者の、実験報告にも現われている事だけれど……、周囲の神経が痲痺してしまうと、時偶《ときたま》その遮断されている神経のみが、他の筋肉からの振動をうけ、実に不思議千万な動作を演ずる事がある。それなんだよ支倉君、そこに奇想天外な趣向を盛る事が出来れば、或は推摩居士がいきなり逆立ちして、あの孔雀の趾跡を残しながら、歩き出しはすまいかと思われるんだ」
それから夢殿を出ると、その足で普光尼の室へ赴いた。普光尼はとうに意識を取り戻していたが、激しい疲労のために起き上る事は出来なかった。四十に近い、思索と理智に及んだ顔立ちで、顎を布団の襟に埋めながらも、正確な調子で答えて往った。
「誅戮などと云う怖ろしい
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