声を廊下で聴いたというのだ。心理学者は母性愛と並行する母性憎があるという。その愛憎並存を老齢のまきにあてて、この事件はますます疑雲におおわれてしまった。
老齢によくある耗弱の発作だろうか。そうとすれば、まさにその後のまきは酬いだといってもいいのだ。
手も、足もうごかず、口も利けず、いずれは車椅子のなかで一生を終るだろうが、そうして、ただ呼吸をし、ぼんやりと見るまきの様は正視の出来ないものだ。刑罰か――死ぬに死ねない、惨苦を味わいながら余生を送らねばならぬのは……。
末起も、それについて折ふし考えさせられた。
(こんな良いお祖母さまが、そんなおおそれたことをするとは、どうしても、そうは私には思えない。口が利けたら、手足がうごいてものが書けたら……。きっと、お祖母さまの口から、途方もない事実《こと》が出るだろう。こんな良い人の、お祖母さまが悪魔になれるもんか)
末起は、ひとりでそういうように、決めていた。肉身が、憎み合ったらそりゃひどいというけれども、なんで、二人のあいだにそんな事実があろう※[#感嘆符疑問符、1−8−78] 自分への、家庭での愛を二分していた二人だけにいっそう悲しいことだった。
しかし、末起には覗き込もうにも、暈やっとした大人の世界である。
やがて、末起にも訪れるものが来た。童女期から、大人へ移ろうとする境界に立って、郷愁のような遣る瀬なさ、あまい昏惑のなかでも、末起はときめくようなこともない。
春の曙光は、お祖母さまのことで暗く色づけられていた。童心は、やがて淡くなり、薄れるように去るだろう……。しかし、お祖母さまのことだけは、永遠に残るにちがいない……。そうして、末起は病む薔薇のように、思春期を暗い心で漂っていた。
ところが、それから四、五ヶ月経ったころふと、祖母の眼に異様なものを発見したのである。
それは、瞬きをときどき止めることで、精いっぱいに、※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]らきながら瞬くまいとする努力は、必死に末起の注意をひき、認めてもらおうとするらしい。
その表出は、祖母にあらわれた、たった一つのものであった。しかしそれが、悦びか、悲しみか、慾求の表示でもあるのか――末起にもそこまでは分らなかった。ただ、お祖母さまの身体中でたった一つの、うごく筋肉である眼筋をとおして行われる……。見えざる口、聴えざる言語であ
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