が、滝人は素晴らしい虹でも見るかのように、その情景を恍惚《うっと》りと眺め入っていた。そして、自分が上がった階段の数を数えて、もうほどなく十四郎の前に廊下が尽きるのを知ると、彼女はその刹那《せつな》、襲いかかった激情に、押し倒されたかのごとく眼を瞑《つむ》った。と、プーンという弓を振るような響が起って、土台がからくも支えたと、思われるほどの激動が朽ちた家を揺すり上げた。すると、家全体がミシミシ気味悪げに鳴り出して、独楽《こま》のように風を切る音が、それに交った。しかし、その物音も、しだいに振幅を狭めて薄らいでくると、滝人はそれまでの疲労が一時に発して、もう何もかも分らなくなってしまった。しかしついに事は成就したのである。
そうして、どのくらいの時間を経た後のことか、滝人の頭の中で、微かながら車輪のような響が鳴り出した。それは、挾まれた着物の端が、歯車の回転につれズルズル引き出されてくるといった感じで、何やら意識の中から眼醒めたいような感情が、藻掻き抜けてくるように思われた。すると、自分の現在がようやくはっきりとして、今まで一つの瀬踏《せぶ》みしかしなかったことに、彼女は気がついた。そして、新しい勇気を振り起すためには、何より、その瀬踏みの跡を検分することだと思った。催眠中の硬直がそのまま持ち越され、屍体は石のように固くなっていたが、顔には、静かな夢のような影が漂い、それは変死体とは思われぬ和《なご》やかさだった。そのぶらりと下った足を、滝人は振子のように振り動かして、やがて止まると、先刻《さっき》振子を見た時の十四郎みたいに、身体をいきなりしゃちょこばらしたりして、しばらくの間、その物凄い遊戯を酔いしれたように繰返していた。が、やがて滝人は、例の病的な、神経的な揺すり方をして、肩でせかせか嗤《わら》いはじめた。
「これなんです。お前はこれでいいんですよ。そして、お前の下手人には喜惣が挙げられて、あのお母さまも、喜惣の手にかかったということで、結論《けり》がついてしまうのです。なんのことはない、泉を騒がす蛙を一匹、私が捻《ひね》ってしまったまでのことだ。私は、どんなにか永いこと、あの泉の側に立って、そこに影を映しにくる。娘が現われるのを待っていたことでしょう。ところへ、お前がその畔《そば》で、荒い息遣いをしたり、飛び込んだりなどするものだから、いつも泉の面が波紋で乱れていて、きまって抱き寄せようとすると、あの娘の姿は消え失せてしまうのでした。だけど、とうとうこれで、夢から愕然と醒めるようなことはなくなってしまうだろう。いいえ、どんなに私をお嫌いな神様だっても、お前が犯人だ――と、私に指差しはできないでしょうからね。だって、考えてごらんなさい。二本縦に渡した綱を取り去ってしまったら、ぐるぐる回転して、頸《くび》筋に結節ができている屍体を、どうして自殺と考えるでしょう。あの二本の綱――いっこう埒のなさそうな趣向一つにも、じつは千人の神経が罩められているのです。一本の横に張った綱だけでは、とうていあの窪みができるはずはないのだしね。結局戸外で絞殺《しめころ》したものを運び入れて、自殺を装わせたという結論になってしまうのですよ。どこにも地面には、引き摺ったらしい跡はないのだし、あの重い屍体の持ち運びができる人物と云ったら、どうしたって、まず喜惣以上[#「以上」底本のまま、「以外」と思われる]にはないじゃありませんか。それに――ああまったく、私には魔法の力がついているんじゃないかしら。きっと真相を知らない捜査官達は、死後経過時間が因《もと》で、とんでもない誤算をやるにきまっているんです。ですから、兇行の時刻がそんな具合で三四時間も遡《さかのぼ》ってしまうことになると、当然私の手で、その時刻を証明するものを作り上げねばならないでしょう。それが、お前を地獄に突き入れた、あの時計なんですよ。つまりお母さまの息の根は、振子の先についている長い剣針で止め、それから、停まっている時刻を、ちょうど九時半頃にしておくのです。そうすると喜惣の行動が、少しの中断もなく説明できるでしょうからね。最初兄を誘い出す際に、隙を見て振子を手に入れた――と。それから、戸外《そと》で絞殺《しめころ》して、屍体の首を綱にかけ、その後|暁《あかつき》近くになって母を刺オ殺した――と。なお、都合のよいことに、喜惣は白痴なんですわ。そして私の口からでも、兄の死後――云々《うんぬん》の事が述べられたなら、人並性欲の猛りが激しい白痴の所業として――てっきりそんな常軌一点張りな筋書でも、捜査官を頷《うなず》かせてしまうことと思われます。しかしそれには、ただ針をぐるぐる廻しさえすればよいのです。八時――九時――それから長針を六時の所にさえ置けば……つまり、その八、九、六ですべてが終ってしまうのです」
八、九、六――その唸《うな》りが、それが一匹の蠅ででもあるかのように、頭の中を渦巻いて拡がっていった。すると、滝人は不意に胸苦しくなってきて、何か忘れてならないものを忘れているのではないか――となんとなく鬱然とはしているけれども、それでいて鈍く重たげな、必ず何かあるぞあるぞ――といったような不安を感じはじめてきた。しかし、どう焦ってみても、結局蠅の唸りのようなものに遮られて、滝人はその根源を確かめることができなかった。そして、しだいに時刻も迫ることとて、もう少し静かにして――と思ってみても、それが彼女には許されなかったのである。滝人は、指針を廻すのをまず後廻しにして、そっと振子だけを手拭いにくるみ、それから、くらの寝間に赴いた。
しかし、そこにも光はなかった。暗さという暗さを幾層にも重ね合わせたように、しぶとい暁前の闇が行手を遮っているのだった。そこで、滝人は決心をして、雨戸のうえの桟窓を、そっと細目に開いた。すると、蜘蛛《くも》糸のような一条《ひとすじ》の光線が隙間から洩れて、それが蚊帳《かや》を透し、皺ばった頬のうえに落ちた。滝人はしばらく動悸《どうき》を押さえ、死の番人のように、その顔を黙視していた。が、やがて眼が微光の眩《ひらめ》きに慣れるにつれて、それが疑いもなくくらであり、しかも歯のない口をあんぐりと開いて、そこからすやすや、寝息が洩れているのを知った。と、滝人の手が――こうも一つの殺人が神経を鈍麻させたかと思われるほど――機械的に動いていって、振子の上に布片《ぬのきれ》を幾重にも捲き、その先の剣針を歯齦《はぐき》の間に置いて、狙いを定めくらの咽喉《のど》深くにグサリと押し込んだ。そして、素早く掻巻《かいま》きを顔の上に冠《かぶ》せて、滝人はその上にのしかかったが、むろん振子のために舌が動く気遣いはなく、わずかに四肢を、ぶるると顫《ふる》わせたのみで、動かなくなってしまった。こうして、一尺と隔たっていない所に、時江を置いての不敵きわまる犯行が成功を遂げ、もはや滝人は、凱歌を包み隠すことができなくなってしまった。戸外に出ると、対岸の山頂が微かな光に染み、そこから夏の日特有の微温《ぬく》もった曙《あけぼの》が押し拡がろうとしている。星は一つ一つ、東空から天頂にかけて消え行ったが、それが三つになったとき、ふと妙な迷信的な考えに襲われた。滝人は、後の一つを見まいとして、眼を瞑《つむ》った。しかし、その真黒な瞳の中で、やはり同じような叫びを、時江が彼女に答えてくれるのを、しみじみ聴いていた。滝人は、慄《ぞ》っと擽《くすぐ》られるような幸福感に襲われたが、またあの病苦がしんしんと戻ってきて、一つ残された義務を果さねばならないのに気がついた。十四郎の寝間には、もう死の室《へや》のような沈鬱さを、滝人は感じなかった。しかし、長針をぐるぐる廻して、それから、
「八――九――それから最後には、長針を六時に……」と滝人が、針をぴたりと垂直に据え、盤面から指を引いたときだった。そのとき不思議な事には、あれほど逐《お》いきれなかった蠅の唸《うな》りがピタリと止んでしまい、その蔭から、滂沱《ぼうだ》と現われ来《きた》った不安が、彼女を覆い包んでしまった。最初そこから低い囁きが聴え、しだいに高まってくると、やがて圧したように、滝人を動けなくしてしまったのである。しかし、彼女の病的な神経は、いちいちその相手になって、たまらない応えを喋《しゃべ》りはじめた。
鉄漿《はぐろ》――あるいはそうではないかしら。たとえ黙語にしても、その一番強い発音が声帯を刺激するとどのように類似した言葉でも、その印象の蔭に、押し隠されてしまうと云うではないか。その忘却の心理には、きわめて精密な機構があって、同じ発音の言葉でも、抑揚《アクセント》が違う場合には、一時ことごとく記憶の圏外に擲《な》げ出されてしまう。そうではないか。したがって(八[#「八」ゴシック体](はち)――九[#「九」ゴシック体](く)――六[#「六」ゴシック体](ろく)と)記憶をしいた一連のうちで、冒頭のは[#「は」ゴシック体に傍点]とく[#「く」ゴシック体に傍点]とろ[#「ろ」ゴシック体に傍点]が、あるいは盲点を、鉄漿《はぐろ》という観念の上に設けていたかもしれないのである。そうすると滝人には、鉄漿に関する知識が泉のように溢れてきて、あの皺に見えたというのも、その実、鉄漿かぶれ(鉄漿を最初つけたときに、あるいは全身に桃色斑点を発することがあるけれども、それは半昼夜経つと消えてしまう)の斑紋だったかもしれないし、また歯が脱けていて、そこが洞《ほら》のように見えたというのも、あるいは歯抜けの扮装術(「苅萱桑門筑紫蝶」その他の扮装にあり)そのままに、鉄漿《はぐろ》の黝《くろ》みが、洞のごとく見せかけたのではなかったであろうか――などとさまざまな疑心暗鬼が起ってくると、それが抗《あらが》いがたい力でもあるかのごとく、滝人の不安を色づけていった。と、そのとき御霊所の中から、朝の太鼓がドドンと一つ響いた。そして、滝人の不安は明白に裏書され、彼女は歓喜の絶頂から、絶望の淵深くに転げ落ちてしまった。なぜなら、その太鼓というのが、朝駈けのくら以外には打つことのできぬ習慣《しきたり》になっていたからである。
人間心理の奇異《ふしぎ》な機構が、ついに時江を誤殺した――その一筋の意識も、ほどなく滝人には感じられなくなってしまった。もはや何の心労もなく、望みもなく疼《うず》きもしない彼女には、額に触っている、冷たい手一つだけを覚えるのみであった。時江は十四郎そのものの正確な写像であり、滝人の全身全霊が、それにかけられていたのではなかったか。そのように、最後の幻までも奪い去られたとすれば、いつか彼女には黴《かび》が生え、樹皮で作った青臭い棺の中に入れられることもあろう。が、その墓標に印す想い出一つさえ、今では失われてしまったではないか。
それからほどなく、早出に篠宿《しのじゅく》を発った一人の旅人が、峠の裾はるか底に、一団の火焔が上るのを認めた。しかし、その人は、家が焼けているのみを知って、その烟《けむり》とともに、消え去って行く悲劇のあった事などは知らなかったのである。
底本:「小栗虫太郎傑作選II 白蟻」現代教養文庫、社会思想社
1976(昭和51)年9月30日発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:酔尻焼猿人
校正:条希
1999年7月11日公開
2001年2月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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