たしかに、人と植物の立場が転倒しているからであろう。いや、ただ単に、その人達を喚起するばかりではなかった。わけても、その原野の正確な擬人化というのが、鬼猪殃々《おにやえもぐら》の奇態をきわめた生活のなかにあったのである。
あの鬼草は、逞《たくま》しい意欲に充ち満ちていて、それはさすがに、草原の王者と云うに適《ふさ》わしいばかりでなく、その力もまた衰えを知らず、いっかな飽《あ》くことのない、兇暴|一途《いちず》なものであった。が、ここに不思議なことと云うのは、それに意志の力が高まり欲求が漲《みなぎ》ってくると、かえって、貌《かたち》のうえでは、変容が現われてゆくのである。そして不断に物懶《ものう》いガサガサした音を発していて、その皮には、幾条かの思案げな皺《しわ》が刻まれてゆき、しだいに呻《うめ》き悩みながら、あの鬼草は奇形化されてしまうのであった。
明らかに、それは一種の病的変化であろう。また、そのような植物妖異の世界が、この世のどこにあり得ようと思われるだろうが、しかし、騎西|滝人《たきと》の心理に影像をつくってみれば、その二つがピタリと頂鏡像のように符合してしまうのである。まっ
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