たからこそ、明け暮れ同じ顔を突き合わせているだけでも――、終いにはその顔の細かい特徴までも読み尽してしまって、その上話すにも話しよう種がないといった――それがまさしく騎西家の現状なのでございますが、そのような寂寥のどん底の中でも、私だけはこんなにも力強く、一つの曙光《しょっこう》を待ち焦がれて生きてゆけるのですから。でも、その曙光というのが、もしかして訪れてきた時には、私はいったいどうしたらいいのでしょうか。つまり、それまでは眼も開けられなかった――あの霧が、晴れたときのことですわ……」
滝人の眼の中では、血管がみるみるまに膨れていって、それまで覆うていた、もの淋しげな懐疑的なものが消えた。そして、全身が不思議なことに、まったく見違えてしまったほどに豊かな、いかにも生理的にも充実しているかのような、烈しい意欲の焔《ほのお》に包まれてしまったのである。しかし、そのとき何と思ったか、滝人はサッと嫌悪の色を泛《うか》べて、樹の肌から飛び退いた。
「ねえ、貴方はいまの厭《いと》わしい臭いはご存知ないでしょう。けっして、あの頃の貴方には、いまみたいな蒸《む》れきった樹皮の匂いはいたしませんでし
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