文字や傾斜体文字《イタリック》でも感じているのではないかと思われるような、一足一足、鶏卵の中を歩むような足取りをしたりなどして、ひたすら無慈悲な単調の中からあがき抜けようとしていた。そうして、それに縋《すが》りついて、無理にも一つの偏執を作らなかったならば、なんら考え事もない、仕事もなく眼も使わない日々の生活には、あの滅入ってくるような、音のない節奏《リトムス》の世界を、身辺から遠ざける工夫とてほかになかったのである。
 けれども、そうしているかたわら、彼らの情緒からも感情からも、しだいと固有の動きが失せてきて、終いには気象の変化や風物の形容などに、規則正しく動かされるようになってしまった。わけても、そういう傾向が、妹娘の時江に著しかった。彼女は、自然を玩具《ジュウジュウ》の世界にして、その幻の中でのみ生きている女だった。それで、空気が暖かすぎても冷たすぎても、濃すぎても薄すぎても、病気になり……、たとえば黄昏時だが、始めのリラ色から紅に移ってゆく際に、夕陽のコロナに煽られている、周囲《ぐるり》の団子雲を見ていると、いつとなく(私は揺する、感じる、私は揺する)の、甘い詩の橙《オレンジ》
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