てもつかぬ、醜い男を夫と信じられたであろうか。
 なるほど、持ち物はまさしくそうだし、かつまた身長から骨格までほとんど等しいのであったが、十四郎はまったく過去の記憶を喪《うしな》っていて、あの明敏な青年技師は、一介の農夫にも劣る愚昧《ぐまい》な存在になってしまった。その上、それまでは邪教と罵《ののし》っていた、母の馬霊教に専心するようになったのだが、彼の変換した人格は、おもにその影響を滝人のほうにもたらせていた。と云うのは、だいいち十四郎の気性が、粗暴になってきて、血腥《ちなまぐさ》い狩猟などに耽《ふけ》り、燔祭《はんさい》の生き餌までも、手ずから屠《ほふ》ると云ったように、いちじるしい嗜血《しけつ》癖が現われてきた事だった。またもう一つは、ひどく淫事を嗜《たしな》むようになったという事で、彼女は夜を重ねるごとに、自分の矜恃《ほこり》が凋《しぼ》んでゆくのを、眺めるよりほかになかった。あの動物的な、掠奪《ひった》くるような要求には――それに慣れるまで、彼女は幾度か死を決したことだったろう。そして、その翌年、惨事常事|妊《みご》もっていた稚市《ちごいち》を生み落した以後は、毎年ごとに流産や死産が続いていて、彼女の肉体はやがて衰えの果てを知ることができないようになってしまった。しかし、滝人にとると、そうして魔法のような風に乗り、訪れてきた男が、第一自分の夫であるかどうかというよりも、まずそれを決める、尺準がないのに困惑してしまった。
 変貌、人格の変換――そうした事は、仮説上まさしくあり得るだろうが、一方には、それをまた根底から否定してしまうような事実を、直後に知ってしまったのだった。そうして疑惑と苦悩の渦は、いぜん五年後の今日になっても、波紋を変えなかった。滝人もまた、それに狂的な偏執を持つようになって、おそらくこれが、永遠に解けぬ謎であろうとも、どうして脳裡から、離れ去る機《おり》があろうとは思われなかった。それから滝人の生活は、夢うつつなどというよりも、おそらく悪夢という地獄味の中で――ことに味の最も熾烈《しれつ》なものだったに相違ない。たぶん彼女には、現実も幻も、その差別がつかなかったであろう。そして五年にもわたって、夫とも他人ともつかぬ、異様な男と同棲を続けてきたことは、事実苦悩とも何ともつかない――それ世上、人間の世界には限度があるまいと思われるほど、痛まし
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