っとしていることでしょうね。いいえ、そうしているうちに、あの男はだんだんと動くようになってくるのです。なぜなら、月が動くにつれて、左側の方からその高代という像が、しだいに薄れていくのですから、当然身体が、右の方に廻転していく道理でございませんか。そして、まったく消え去る頃には、あの男は廊下の中に出てしまうのですが、そうすると、またそこには別の高《たか》の字が待ち設けていて、あの男をぐんぐん前方に引き摺っていくのです。それが、この稚市《ちごいち》なんでございますわ。私は、時江さんが仔鹿《かよ》の胴体に描いたものに暗示されて、一つの奇怪きわまる写像に思い当ったのでした。と申しますのは、この置燈籠のような身体に、一つは背の中央、一つは両|股《また》の間に光りを落しますと、それが高《たか》と同じ形になるのではございませんか。そして、この子の身体は闇の中に浮き上がりますし、それに、両股の間からくる光りに怯《おび》えて、階段を這い上がるに相違ないのですから、それに惹《ひ》かれて、あの男が歩んでまいりますうちに、いつか廊下が尽き、それなり下に墜落してしまうのです。ところが、その場所には、横に緩く張った一本の綱がございます。そればかりか、それにはなお、狭い間隔を置いて縦に張った二本が加わっておりますので、あの男の頸がその中央《まんなか》辺に落ちれば、否応《いなおう》なくちょうど絞索《こうさく》のような形が、そこに出来上がってしまうでしょう。貴方の空骸《なきがら》は、そうしてグルグル廻転しながら、息が絶えてしまうのです。でも、どうしたということでしょう。いつもなら今時分には一度、きまって眼を覚ますのですが……」
滝人の頭は、しだいに焦躁《いらだ》たしさで、こんがらがってきた。もしこの機会を逃したなら、あるいは明日にも、十四郎は片眼の繃帯を除《と》らぬとも限らないのである。そうしたら、完全に犯罪を遂行する――あの嫌らしい呼吸や、血に触れることなくなし了せる機会は、永遠に去ってしまうに相違ない。そう思うと、滝人の前には、陰鬱な壁が立ちはだかってきて、たまらなく稚市の、獣のような身体が憎くなってきた。が、その時、カサリという音が、十四郎の寝間の方角でしたかと思うと、滝人の心臓の中で、ドキリと疼《うず》き上げたような脈が一つ打った。すると、熱い血が顳※[#「※」は「需+頁」、148−11]
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