りますが、随員のはおろか、わたくしのも参りませぬ。当国は格式を重んじ典礼を尊ぶ点に於いて、回教国一と聴いておりますが」
「恐れいります」
 と、式部官が首をさげた時その婦人の姿は、昇降階に続く「騎士の間」に消えていたのである。その場には、侍従長やら将軍やらがいたが、凛とあたりを払うその婦人の威厳には、誰も止めるものがなかったのだ。
 キンメリア――それは地図上にない国である。

   生きている氷河

 折竹は、舞踏にも加わらず宮苑のなかを歩いていた。スミルナの無花果《いちじく》、ボスラーの棗椰子《なつめやし》、エスコールの葡萄――。近東の名菓がたわわに実っているところは、魔宮か、魅惑の園のよう。そこへ、日時計のついた噴泉が虹をあげ、風は樹々をうごかし、花弁は楽の音にゆすられる。彼は酒気をさまそうと、ぽつねんと亭《ちん》にいたのだ。
(セルカークの奴、この辺じゃなかなかの羽振りじゃないか。マア情報省の機関区長どころだろうが……、どうして領事くらいは敵わんような勢力がある)
 そこへ、植込の陰からぷうんと女の匂いがした。棕櫚の花粉のついた裳裾がみえたとき、彼の横手からすうっと寄り添ってき
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