曝《さら》されようとする。やがて、垂《た》らした綱が二百|尋《ファゾム》ほどになったとき、底に達したらしく、かすかな手応え……。いよいよ、地底の晦冥国《キンメリア》へ。
「やはり、石油ガス」
とまっ暗ななかで鼻をうごめかし、セルカークが聴えぬような声で呟いた。おそらく、どこかに噴出孔があるのだろう。そして、岩石が落下するときの摩擦の火花で点火するのが、例の怪光だろうと思われた。
三人は、各人各様の気持――。折竹は、故国のために油層下の道をきわめようという。セルカークは、|油脈探し《オイル・ハンター》の前身を見事|露《む》きだして、ほとんど天文学数字にひとしい巨大な富を握ろうと……。また、オフシェンコはと……。いうなかにも折竹の、心の琴線に触れるのはザチのこと。彼はいかにしても地底の女王に遇いたかったのである。
その間も、懐中電灯のひかりが四方へ投げられている。石筍はあり天井から垂れている美しい石乳も、どんよりした光のなかでは、老婆の乳房のよう。絶えず、岩塩の粉末が雨のように降ってくる。しかし塩が吸うので毒ガスの危険はなく、三人は安堵《あんど》して進むことができたのだ。
二万マイルの道、北は、新疆《しんきょう》のロブ・ノールから外蒙へまで、あるいはソ領|中央アジア《トルキスタン》へもコーカサスへも、アフガニスタン、イランをとおり紅海のしたから、この地下の道はサハラ沙漠まで、ゆくだろう。そうして、ここに地底の旅がはじまった。
「いい陽気だ」
と、折竹は口笛を吹きながら、
「暑からず、寒からず……。まことに、当今は凌《しの》ぎようなりまして――だ」
しかし、進むというが、蝸牛《かたつむり》の旅である。一日、計ってみると、三マイル弱。まだパラギル山のしたあたりの位置らしい。それに、開口のしたあたりでは仄《ほん》のりと匂っていた、|石油ガス《ギャス》の臭いがまったく今はない。
「どうも風邪を引いたのかな」
とセルカークが気になったように、言いだした。
「折竹君、ガスのにおいが全然ないと思うが……」
「そうらしい。たといあるにしろ、小ぽけなやつだろう。採油など、覚束《おぼつか》ないようなね」
「ふむ」
とセルカークは不機嫌らしく黙ってしまった。当がはずれたのではないかと思うが、先があること。まだまだというように気をとり直すセルカークを見て、折竹はなんて奴だと思うのだ。すると、その辺から携帯水が気遣われてきた。
とめどない、渇というような事はまだないのであるが、なにしろ、少量しか飲めないので胃は岩石のように重く、からから渇《かわ》いた食道の不快さに、前途がようやく気遣われてきた。と、その暗道がとつぜん尽きたのである。白い大きな岩塩の壁が、三人の行手を塞いでしまったのだ。
じゃ、盲道だったのか――と、折竹もまっ蒼になった。ことに、セルカークの失望は甚だしく、油層も晦冥国《キンメリア》もすべて全部のことが、いまは阿呆の一夕の夢になってしまったのである。
石油の湖水《うみ》、それに泛ぶ女王ザチの画舫《がほう》。なんて、馬鹿な夢を見続けていたもんだと、かえって折竹を恨めしげにみる始末。と、引き返すことになったその夜のことである。寝ている折竹のそばへ這《は》うようにして、セルカークがそっと忍び寄ってきた。彼が、目を醒ますと慌てたらしく、
「君、君、何なんだよ。もう開口《くち》へ出るまでの、水がないんだ」
「全然か」
「いや、三人分のがない」
と言うセルカークの目がぎょろりと光る。なんだか、殺気のような寒々としたものが、この男の全身を覆うているのだ。おやッ、どうも様子が変らしい。こいつ、と思うと厭アな予感がして、
「じゃ、どのくらいあるね」
「一人分だ。俺だけは、生きて帰る」
とたんに、腰の拳銃をにぎった、セルカークの手に触れた。なにをする! と、突き飛ばされたセルカークはころころと転げ……オフシェンコに打衝《ぶつか》ったらしく、あっと彼の声がする。と、突然の火光、囂然《ごうぜん》たる銃声。やったな、じぶんだけ生きようばかりにオフシェンコを射ち……次はこの俺と思った一瞬のこと。天地も崩れんばかりの大爆音とともに……。ああ、かすかに洩れていた油層のガスに引火したのだ。
やがて、雪崩《なだ》れる音が止むと、死のような静寂。折竹は、ほっとして起き上った。
と見る、なんという大凄観《だいせいかん》か※[#疑問符感嘆符、1−8−77] 行手を塞いでいた塩壁がくずれ、そこから流れだしたのが原油の激流。油層! と、思うまに一筋の川となり、みるみるうち倒れているセルカークを押し流してゆく。すると、壁の割れ目をじっと見ていた折竹の目が、とつぜん、輝いてあっと馳《は》せよったのだ。そこから、泡だつ原油とともに流れだしてきたのが、一人の女の屍体
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