ちょっと手を握ってみなせえ、脈はあるだかね。おいら、生きてる人間みてえに、暖かになったかね」
 なるほど先刻《さっき》と、彼のいうとおり少しも変っていない。死体がうごく──と、呆気《あっけ》にとられた私にアル・ニン・ワは言い続ける。
「そっとして……。旦那は、何もしねえほうが、いいだよ。エ・ツーカ・シューは、これから『|冥路の国《セル・ミク・シュア》』へ召されるところだから。死骸になってから行かされるなんて、おいらの種族はなんて手間が掛るだべえ」
 とみる間に、エ・ツーカ・シューがのっしのっしと歩きはじめた。まるで、ゼンマイ人形のような機械的な足取り。やがて天幕《テント》をまくったとき吹きこむ粉雪のために、彼の姿は瞬間にみえなくなった。それなりだ。橇犬の声がやがて外でした。岩がちぎってくるような吹雪の合間合間に、しだいに遠ざかってゆく鈴の音、犬の声。
 行ってしまった。極北の神秘「|冥路の国《セル・ミク・シュア》」は実在せり! エ・ツーカ・シューは死体のまま橇を駆り、晦冥《かいめい》の吹雪をつき氷の涯《はて》へと呑まれたのだ。

[#図1、地図「グリーンランドとセル・ミク・シュア」]

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