にゃ真面目な稼ぎの一つくらいはしますからね。先生にだって一生楽に暮せるくらいの、お礼は差しあげるつもりなんですよ。ねえ、先生ったら、うんと言って……」と、それでも黙っている折竹に焦《じ》れたのか、それともフローの本性か、じりじりっと癇癪《かんしゃく》筋。
「じゃ、私たちの仕事なんて、お気に召さないんだね」
「マア、言やね」と折竹はハッキリ言った。すると、扉のそとでコトリコトリと足音がする。いるな、ルチアノの護衛、代理殺人者《トリッガー・マン》のジップ[#「ジップ」は桃源社版では「ジッブ」]か※[#疑問符感嘆符、1−8−77] と思ったが顔色も変えない、折竹にはルチアノも弱ったらしい。
「ご免なすって。牝の蹴合鶏みたいな阿魔《あま》なんで、とんだことを言いやして。とにかく、この問題はお考え願っときましょう。いずれは、うんと言って頂かなきゃルチアノの顔が立たねえが、そんな強面《こわもて》は百万だら並べたところで、先生にゃ効目《ききめ》もありますまい。なア、俺らが来てもビクともなさらねえなんて……、フロー、お立派な方だなア」
 折竹は、その間ものんびりと紫煙にまかれている。代理殺人者《トリッガー・マン》の銃口を扉のそとに控えていても、暗黒街《アンダーウォールド》の閻魔《えんま》夫婦を目のまえに見ていても、不義不正や圧迫には一分の揺ぎもしない彼には、骨というものがある。静かだ、ウエスト・エンド|通り《アヴェニュー》の雑踏が蜂のうなりのように聴えてくる都心|紐育下町《マンハッタン》のなかにも、こうした閑寂地がある。がいよいよルチアノも手がつけられなくなって、
「マア、これをご縁にちょいちょい伺ううちにゃ、先生だって情にからむだろう。なにも、|殴り込み《ラケット》ばかりが能じゃねえ。誠心誠意という、こんな手もありまさア」
「おいおい、ギャングの情にからまれるのか」
「そう仰言られちゃ、身も蓋《ふた》もねえが」
 とルチアノは苦笑しながら立ちあがる。が、なんと思ったか、ちょっと目を据えて、
「時に、あっしらしくもねえ妙なことを伺いやすが……最近、先生んところへ匿名《とくめい》の手紙が来やしませんか」
「来たよ。しかし、地獄耳というか、よく知ってるね」
「ご注意しますが、絶対あんなものには係わらねえほうが、いい。ずいぶんコマゴマしたことで、無駄な殺生をしたり、ケチな強請《ゆすり》をするために大変な筋書を書く──というような奴が、ゴロゴロしていますから。そこへゆくと、あっしらのは実業《ビジネス》で……」
 と、これがルチアノの帰りしなの台辞《せりふ》だった。
 二人が帰ると、ギャングという初対面の怪物よりも、なにを彼らが企てつつあるのか、陰の陰の秘密のほうに心が惹《ひ》かれてゆく。
 極洋──そこにルチアノ一味がなにを目指している※[#疑問符感嘆符、1−8−77] いわば変態ではあるが一財閥ともいえる、ルチアノ一派の実力で何をしようとするか※[#疑問符感嘆符、1−8−77] またそれがあの手紙の主とどんな関係にあるのだろう※[#疑問符感嘆符、1−8−77] と思うと、イースト・サイドの貧乏窟でせっかくの秘密をいだきながら、ギャングの圧迫のためうち顫《ふる》えている、一人の可憐な乙女が想像されてくる。
 未知の国売物──それと、ルチアノ一味のギャングとのあいだには、見えない糸があるのではないか。
 行ってみよう、彼はやっとその気になった。が「老鴉《オールド・クロウ》」というその酒場へいってみると、すでに日も過ぎたが、それらしい人影もない。見えない秘密、いや、逸してしまった秘密……とやきもきとした一夜が過ぎると、翌朝はケプナラとともにウィンジャマー曲馬団《サーカス》。いま、彼はあれこれと思いながら、奇獣「鯨狼《アー・ペラー》」のまえに立っているのだ。すると、ケプナラがウィンジャマー親方に、
「だが、よくこの鯨狼《アー・ペラー》は餌につきましたね」
「そこです。最初は、誰がやっても見向きもせんでした。ところが、相縁奇縁《あいえんきえん》というかたった一人だけ、この先生に餌を食わせる女がいる。呼びましょう。オイ、牝河馬《ファティマ》のマダムに、ここへ来るようにって」
 と、やがて現われたのが意外や日本人。“Onobu−san《オノブ・サン》, the Fatima《ゼ・ファティマ》”──すなわち大女おのぶサンという、重錘揚げの芸人だ。身長五尺九寸、体重三十五貫。大一番の丸髷《まるまげ》に結って肉襦袢《タイツ》姿、それが三百ポンドもある大重錘をさしあげる、大和撫子《やまとなでしこ》ならぬ大和|鬼蓮《おにはす》だ。

   狂人の無電か

「おやおや、故国《くに》の人だというから、もうちっと好い男だと思ったら……。えっ、あんたがあの、探検屋折竹※[#疑問符
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