、神ならぬ身の知るよしもなかったのだ。
探検隊は、古くからある捕鯨港のサレムで勢揃いをし、五月十九日の朝乗船「発見《ディスカヴァリー》」号には、前檣《ぜんしょう》たかく出航旗《ブルー・ピーター》がひるがえる。いよいよ、極北の神秘「冥路の国」へ。
ニュー・ファウンドランドを過ぎラブラドルール沖にかかると、もう水の色もちがってくる。それまでの藍色がだんだんに褪《あ》せ、一日増しに伸びてゆく昼の長さとは正反対に、温度はじりじりと下ってゆく。すると、グリーンランドの西海岸をみるデヴィス海峡にかかった時、「発見《ディスカヴァリー》」号の全員がすくみ上るようなことが起った。
水平線が、とつぜんムクムクと起伏をはじめたかと思うと、みるみる、無数の流氷が「発見」号をおそってくる。船は、あちこちに転針してやっと遁《のが》れたが、じつに前門の虎去れば後門の狼のたとえか……極鯨吹きあげる潮柱のむこうに、ポツリと帆影のようなものを認めたのだ。まもなく、水夫長《ボースン》が案じ顔にやってきて、
「どうもね、あの横帆船《シップ》にゃ見覚えがあるんですがね」
「とは、どういう事だね」
「あっしゃ、あれがルチアノ一味の『フラム号』じゃねえかと思います。全部、新品の帆なんてえ船は、たんとねえんだから……」
そこで、補助機関が焚かれ、船脚が加わった。全帆、はり裂けんばかりに帆桁《ヤード》を鳴らし、躍りあがる潮煙は迷濛な海霧《ガス》ばかり。そうして、二、三海里近付いたとき双眼鏡をはずした水夫長が、
「やっぱり」と、言葉すくなに折竹をみる……その顔には言外の恐怖があった。
まるで、送り狼のような「フラム号」の出現。それに、ルチアノやフローが乗っているかどうかは知らないが……とにかく、この二探検船の前途になに事かが起るということは、もうここで贅言《ぜいげん》を費やすまでもないだろう。
自然への反抗とともに、ルチアノ一派との闘い、氷原の道には、ますます難苦が想像されてくる。
そこからは、かつての北極踏破者ピアリーが名付けたという、中部浮氷群《ミドル・アイス》の広漠たる塊氷のなか。やがて、“Kangek《カングック》”岬を過ぎ、“Upernavik《ウペルナビック》”島を右に見て、いよいよ拠点となるホルムス島付近の「|悪魔の拇指《ディヴルス・サム》」という一峡湾に上陸した。仮定「|冥路の国《セル・
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